桜花彩麗伝
その瞳を煌めかせながら語った春蘭を眺め、宋妟はくすりと小さく笑う。
それから感慨深そうに頷いた。
「そうですね……。暗君と侮られてきた彼への評価は、一年足らずで一転した。その名声は留まることを知りません」
もしかすると、本当に後世に名を残すこととなるかもしれない。史上最も安寧の世を築いた名君として。
十年前、宋妟はとうにこの国を見限っていた。王たる存在も信じられないと諦めていた。
由緒正しき血筋を理由に、王家を凌ぐほど増長した家門の暴走を止めることもままならない彼に、いかな希望も託せないと失望していた。
国の繁栄以前に、己が生き残ることで精一杯で、そのくせ他人を蹴落とすことに余念がない、腐敗臭に満ちた朝廷百官の性質に辟易した。
臣下に屈した哀れな先王ののちに即位した今上は、国政を司るにはあまりに若すぎると思っていた。
案の定、彼は幼い頃より傀儡として利用されてきた。
しかし、長きにわたり身の縮むような恐怖を植えつけられていながら、邪悪な老獪極まれる衆敵を掃討してのけた。
当初は名ばかりと見くびられていた王を信じた春蘭も、怯懦な心を打ち破り勝負をかけた王も、彼らに心身を賭し尽くした人才も、そして実際に事が成されたこの結果も、何もかもが宋妟の失望を超えた。
────かくして、宋妟はひとつ決心したのであった。
◇
宋妟が屋敷をあとにしたのち、庭院へ出ると紫苑と櫂秦が手合わせしていた。
軌道を描く木刀が激しくぶつかり合っては、瞬く間に立場が入れ替わっている。伯仲しているふたりの剣戟を眺め、春蘭は表情を和らげた。
彼らは、次に催される武科挙を受けることにしたという。
そのため以前よりも稽古の時間を増やし、時に朔弦から直々に指南を施してもらいながら日々邁進している。
なかなか見込みがある、と彼は言っていた。滅多に人を褒めることのない彼が認めたとあり、結果は大いに期待できそうなものであった。
紫苑は木刀を握る手に力を込めた。近頃、剣を手にすると思い出す言葉がある。
『……それは結局のところ、春蘭を信用していないということだな』
春蘭を助けようにも力及ばず、奔走していた紫苑に朔弦が放ったひとことである。
お陰で気づかされた。
必要以上に春蘭を気にかけ、案じ、過保護になっていたのは、己が不安だったからこそだ。
春蘭のため、と銘打って彼女の歩む先から石をどけ、綺麗に道を整えていたのは自分のためでしかなかった。紫苑自身の不安をなくすための行動でしかなかったのである。
だから今度は、本当の意味で“春蘭のため”になることをしたいと思った。
彼女の役に立てるように。力になれるように。これから先も堂々とそばにいて、緋茜との約束を果たせるように。
櫂秦もまた、類した心持ちでいた。
『今度は俺が助けるから』
持ちうる力はいつでも彼女たちのために、自身の認めた仲間のために使うと決めた。
必要なとき、必要なだけ発揮できるよう、口にした言葉を舌先三寸で終わらせないよう、奮励努力あるのみである。
生まれや血筋によらない、自分らしい生き方を見つけたのだから。