桜花彩麗伝

 楚家の姫というと、紛うことなく芳雪を指している。
 新たに当主を継いだ珀佑や彼女の尽力(じんりょく)により、楚家の家格(かかく)は瞬く間に向上していった。没落(ぼつらく)の危機も免れ、再興(さいこう)への一途(いっと)を辿っている。
 朝廷へ参内(さんだい)していない楚家であれば外戚(がいせき)として権威を振るうこともなく、正妃に据えるにあたってうってつけであるという話は、春蘭が後宮にいた頃からたびたび持ち上げられ、朝議にかけられたこともあったほどである。

 有力なのは鳳家であるが、それは春蘭の意ひとつに懸かっていた。
 春蘭が拒めば、芳雪が正妃に迎えられるであろうか。それとも、まったく無縁の姫君が入内(じゅだい)するであろうか。
 ひとたび気にし始めると頭の中はそんな途方もない(うれ)い一色になり、帰る頃には花茶の味すら覚えていなかった。



 ────それから数日の間、春蘭と淵秀は頻繁に(かい)するようになった。
 鳳邸へ迎えにくる淵秀に応じ、ふたりでどこかへ出かけていくというのが常であり、縁談という前提もあってか最初こそぎこちない様子であったが、だんだんといずれも自然な笑顔を見せるようになってきていた。
 今日もそんなふたりを見送った櫂秦は、わざとらしくため息をつくとことさら不満気に口を曲げる。

「はあ……。あいつは本当にこれでいいのかな」

 同じく複雑な表情をしていた紫苑は、しかし指摘するかのごとく一瞥(いちべつ)をくれる。

「おまえは賛成していただろう。おふたりの婚姻に前向きだったじゃないか」

「でも、よく考えたらすっきりしねーんだもん。春蘭も何か元気ないしさ」

 彼らが仲睦まじいことも、淵秀であれば春蘭を生涯にわたり大切にするのであろうことも、決して想像に難くない。むしろ容易である。
 しかし、ここのところ春蘭は何か気にかかることに囚われ、心ここに在らずというような調子であった。

「……だめだ、やっぱ見てらんねぇ。おまえもそうだろ?」

「そうだが……」

 困惑しつつも同調した紫苑を、櫂秦は決然と見据える。
 ────かくして再び鳳邸の門が開き、帰着した春蘭を櫂秦は呼び止めた。
 遠慮も下手な気遣いもしない。“らしくない”彼女をこれ以上放ってはおけない、その一心で口を開く。

「おまえさ、王サマのことどう思ってんの?」

 不意を突かれた春蘭は即座に反応できず、瞠目(どうもく)したまま口を噤んでいた。
 態度の端々(はしばし)に現れた動揺を見逃さなかった櫂秦は、ずいと一歩踏み込む。

「本当に淵秀と結婚していいのか? 俺の姉貴が王妃になっていいのか? なあ、どうなんだよ?」
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