桜花彩麗伝
春蘭は思わず表情を歪めた。
九年前に出会い、再会を果たしてからともに過ごしてきた日々が脳裏を駆け巡る。
記憶が煌めくように光り、桜の花びらで包まれていく────。
約束した。いなくなったりしない、と。望むものになる、と。
「よくない。よくないわよ……。でも」
櫂秦の問いに答え、ぎゅうと両手を握り締める。
「わたしが一番そばにいたい、なんて、そんなこと願ってもいいの……?」
少しく目を見張った紫苑と櫂秦は顔を見合わせ、それから嬉しそうに笑った。
春蘭が自身の本心に気づいてくれて、素直になってくれてほっとする。釈然としない思いがほどけていった。
「当然です。散々ひとを救ってきたお嬢さまが、今度は救われて幸せになる番でしょう」
一夜明け、今日も約束通り淵秀は鳳邸の門を叩いた。
彼との時間が楽しくないわけではなかった。むしろ、至高の扱いを施してくれる上、行き届いたきめ細やかな心配りはとても居心地がよい。
向けられる優しい微笑と、時折伝えられる甘い言葉の数々に心を攫われかけたのは、正直なところ一度ならざる。
それでも、だ。どれほどふたりで過ごそうと、春蘭の心は決まっていた。
これ以上、彼を振り回すのは忍びなく、顔を合わせるなり口を開く。
「あの、縁談のことなのですが────」
「春蘭、今日は軒車を用意しました。どこへ行きたいですか? せっかくなので遠出しましょうか」
先んじて断ろうとしたが、にこにこと嬉しそうな淵秀に遮られてしまう。
罪悪感が勝り、続きを口にすることはおろか、取られた手をほどくことすらままならなかった。
そうしているうちに気づけば軒車に乗り込んでおり、隣に彼が座っていた。手は握られたまま。
軒車がゆったりと動き出し、小窓の外の景色が流れていく。
一旦諦め、口を噤んだ。
────芝桜の咲き乱れる彩り鮮やかな丘を進んでいく。
春風に軒車の帷帳が靡き、しゃらりと宝石細工の珠簾が揺れた。
あたり一面に広がる広大な花の絨毯を眺め、春蘭は思わず驚嘆の息をつく。
その横顔を見つめた淵秀はくすりと笑った。
「気に入りました?」
「はい、とても」
「よかった。……随分ときみのことが分かってきた気がする」