失くしたあなたの物語、ここにあります
「あれだね」
「あと、六歩で行けるかな」

 沙代子はワンピースの裾を持ちあげて、ひょいひょいと歩いていく彼に追いつこうと足を踏み出す。

「ついたよ、葵さん」

 天草さんが恋岩に触れながら、こちらに手を振る。

「じゅうなな。……私、だめみたい」

 あと一歩では恋岩に届かない。天草さんにだって届かない。

「触りたかった?」
「せっかくだから触りたい。天草さんだけ恋が叶うなんてずるい気がしてきた」
「負けず嫌いだね」

 彼は少年のように楽しそうに笑う。

 まろう堂で働く物静かな彼は魅力的だけど、やっぱり自然の中で生き生きする彼も素敵だ。

「じゅーはちっ。やっぱり足りない。残念」

 あと一歩だ。あと一歩あれば、手を伸ばせば恋岩に触れたのに。

「葵さん、こうしたらどう?」
「こうしたらって?」

 首を傾げると、天草さんは左手で恋岩に触れたまま、右腕をまっすぐこちらへ向かって伸ばしてくる。

「葵さんと手を繋いだら、恋岩に触ったことになるかな?」
「間接的に触るの?」

 そんなの全然ご利益ない。

「触らないよりはいいと思う」
「天草さんが言うと、いつもそうかなって思う」

 沙代子は手を伸ばした。彼の言葉には、信じてみてもいいと思える何かがある。きっとそれは信頼だ。彼自身を信じているから、彼の言葉も信じられる。

 指先が触れて、手のひらが重なり合う。あたたかくてしっかりとした手だ。

「触れたね、葵さんも」
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