失くしたあなたの物語、ここにあります
 振り返ると、上品なノースリーブワンピースの女の人が頭をさげる。年の頃は沙代子より少し年上だろうか。とても品の良い落ち着いた雰囲気の綺麗な人だ。

「まほろば書房にご用ですか?」

 お客さんだろうか。そう思って尋ねると、女の人は「ああ、いいえ」と首を横に振る。

「まろう堂に葵さんのお嬢さんがよくいらしてるって聞いて、お会いしたいと思っていたんです。いま、たまたま通りがかって、もしかしたらと話しかけてしまいました」
「私に、何か?」

 どこかで会っただろうか。覚えのない女の人だ。沙代子が尋ねると、彼女は複雑そうな笑みを浮かべて言う。

「宮寺詩音(しおん)と言います。宮寺内科院長の娘……そう言ったら、わかるかしら?」

 沙代子はサッと血の気が引いたのがわかった。無意識に後ずさったのだろう。靴のかかとに何かがぶつかって、看板がぐらぐらと揺れた。

 あきらかにショックを受けた沙代子の態度で、あのことを知っていると、詩音さんは確信したようだ。

「違うんです。父のことで話があるんじゃないんです」
「それじゃあ、どうして……?」

 動揺を隠せないまま問いかけた沙代子は、クレープ屋さんの前を歩いてくる悠馬に気づいた。

 とっさに、悠馬と詩音さんは会わせられない、そう思って、沙代子は「ごめんなさい」と頭をさげると、そのまま逃げるように悠馬に駆け寄った。

「わざわざ、来たの? もうすぐ帰るところだったの。ごめんね。お腹すいた?」

 焦りを隠すように一気に言うと、悠馬は沙代子の後ろへ視線を向ける。

「知り合いの人?」
「あー、ううん。道を聞かれただけ」
「まだこっち見てるよ」
「すぐに帰られるわよ」

 振り返る勇気がなくて、沙代子は彼の腕をつかむと、まほろば書房に背を向けたまま歩き出す。
 
「下見?」

 悠馬がそう言う。
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