🍞 ブレッド 🍞 ~フィレンツェとニューヨークとパンと恋と夢と未来の物語~【新編集版】
       ニューヨーク

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 えっ、日本?

 その文字を目にした瞬間、大きな声を発していた。
 それは予想もしていないことだった。
 青天の霹靂(へきれき)とはこのことで、手紙を手にしたまま身動きできなくなった。

 帰りたい……、

 突然、呟きが漏れた。
 日本に帰れば毎日でもフローラに会えるのだ。
 しかし、そんなことはできなかった。
 店を放り出して自分勝手な行動をとることはできないのだ。
 アントニオの代役を務めると固く決心して始めたことを途中で投げ出すなんてできるはずがなかった。

 アントニオの回復は想定より遅れていた。
 未だに右手と右足が不自由なままなので厨房に立つのが難しく、立ったとしても短い時間に限られていた。
 頑健そのものだった彼の体は見る影もなくやせ細って痛々しいほどで、そのせいか疲れやすく、すぐに息が上がった。

 そのやつれた姿が目に浮かぶと、あの時の言葉が蘇ってきた。

 義を見てせざるは勇無きなり。

 あの日偉そうに発した言葉を反芻(はんすう)しながら窓に視線を向けると、ルチオの顔が浮かび上がってきて、フローラのことを考えてしまった自分が情けなくなった。
 だから、彼を裏切ってはいけない、自分の言葉に責任を持たなければならない、と口に出すことによって自らを縛り付けた。

 それでも視線は手紙に戻ってしまった。
 本音は会いたくて仕方がないのだ。
 それを抑えることなんてできるはずはなかった。
 もう一度同じところを読み返すと、4月1日から銀座店での勤務が始まると書いてあったが、いつまで日本にいるのかは書かれていなかった。長期出張とだけ記されているのだ。

 いつまでいるのかな……、

 呟きが手紙に落ちた。
 しかし、返事が返ってくることはなく、手紙は無言を貫いていた。

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