魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
「ただ、貴女にはその期間に行ってもらいたい場所がある」
ベルンハルトから提案された内容に、嬉しさで言葉を詰まらせたリーゼロッテを見ながら、ベルンハルトが言いづらそうに話を続けた。
「場所ですか?」
「あぁ。王都よりは近いのだが、馬車での距離になる。もし、辛いようであれば断ってもらっても構わない」
王城へ行き、あの貴族達と、バルタザールと会う以上に辛い場所などないだろう。
「構いませんわ。わたくしなら大丈夫です。それで、どちらへ行くのでしょうか?」
リーゼロッテが行かなければならないということは、本来であればベルンハルトの訪問先。その代理として行くのはロイエンタール夫人としての務め。どこへ行っても、無事に代理を果たそうと、リーゼロッテは背筋を伸ばした。
「隣の、ディース領へと行って欲しい」
「ディース……」
向かう領地の名前を繰り返した途端、リーゼロッテの目からは涙が零れ落ちた。
王城での挨拶を避けられるだけでなく、訪問先がまさか隣の領地だなんて。
ベルンハルトから与えられる幸福に、信じられないような出来事に、リーゼロッテは涙を抑えることができなかった。
「あぁ。ディースブルク家の令嬢と会ってきて欲しい」
ベルンハルトからの言葉で思い浮かぶのは、親友のアマーリエの顔。
領地の外へ出ることを許されていない彼女と会うのは、もう叶わないと諦めていた。
リーゼロッテが隣の領地を訪問するのなら、それなりの理由が必要で。そんな理由を作り出すことさえできるわけがないと、思い込んでいた。
「ベルっ、ハルト、さまっ」
言葉にならない思いを、どうにかして伝えようと名前を呼ぶが、その声すら泣き声と重なり、うまくいかない。
涙と嗚咽をどうにか止めようとすればするほど、あふれる思いに止まらない。
「今日の貴女は泣いてばかりだ」
そう言って微笑んだベルンハルトの顔に、更に涙が誘われる。
止めようと目頭に力を入れても、とめどなく溢れてくる涙はもう止める術もなく、リーゼロッテはその様子が恥ずかしく、すがりつく様にベルンハルトの手を握った。
「こ、これを」
リーゼロッテが握った手とは逆の手が、リーゼロッテの手にハンカチを握らせる。綺麗に折り畳まれたハンカチを握りしめた。
リーゼロッテが握りしめたまま、一向に使われないハンカチを見て、ベルンハルトがリーゼロッテに握られた手を優しく振り解く。
そして、そのままリーゼロッテの肩を引き寄せた。
「い、嫌でっ、なければっ」
突然引き寄せられた肩と、相変わらずのつっかえた口調に、リーゼロッテの涙が止まる。
普段よりもずっと近くにあるベルンハルトから香る、ほのかな柑橘類の匂いと、引き寄せられたままその胸板に預けることになった頭へ、直接響くベルンハルトの鼓動が、徐々にリーゼロッテの気持ちを落ち着かせていく。
そっと顔を上げれば、予想通り耳を赤く染めたベルンハルトが見えた。
それを見て見ぬふりをして、リーゼロッテは再びベルンハルトの鼓動に耳を澄ませる。
少し早いスピードで、それでも力強く一定のリズムを刻むその音に、どれだけのあいだ聞き入っていただろうか。
リーゼロッテの涙はすっかり乾き、気がつけばベルンハルトの鼓動もゆっくりとしたものに変わっていた。
「落ち着いただろうか?」
「はい。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
くつろぐためのソファだというのに、リーゼロッテのことを支えるその姿勢は、きっとベルンハルトの負担になっただろうと、リーゼロッテは姿勢を正して頭を下げた。
「迷惑などと、思ってない」
そうはっきりと言い切ったベルンハルトの声に、リーゼロッテの心はまた嬉しさで締め付けられる。
「そ、それでディース領で何を?」
嬉しさと、遠慮もなく泣き続けてしまった恥ずかしさで顔を上げられないまま、ベルンハルトに話の続きを促す。
「隣の領地とはいえ、これまでさほど交流もせずにいたからな。貴女はディースブルクの令嬢とは仲が良いようだし、この際親交を深めても良いかと。ただそれだけだ」
「ですが、ディースブルク伯爵は王城に行かれているのですよね? わたくし達の交流にはあまり意味がない気もします」
「意味などなくて良い。何かことを成して欲しいわけではない。貴女が旧友と会うことを楽しんでこれれば良い」
ディース領へ向かうのは、ベルンハルトの代理などではなく、リーゼロッテの私的な訪問だと言う。ロイエンタール夫人ではなく、リーゼロッテとしてアマーリエに会いに行くことができる。
それはこれまで与えてもらうことのなかった時間で、それが生まれ育ったシュレンタットから遠く離れたロイスナーで、出会って一年しか経たないベルンハルトからのもの。
それは奇跡にすら近い出来事で、それを手にすることができるのかと、半ば信じることもできなくなりつつある。
騙されてはいないかと、疑心暗鬼に陥りつつベルンハルトの顔を見上げれば、あの隙のない笑顔が向けられる。その笑顔はリーゼロッテに何ごとも任せておけば良いと、そんな安心感を与えてくれる。
今回ばかりは、ベルンハルトの提案に乗ってもいいだろうか。王城で嫌な思いをするのではないだろうか。隙のないあの笑顔を裏で、ベルンハルトは何かを我慢しているのではないか。
そんな思いが、リーゼロッテの心を占拠してしまう。
ベルンハルトから提案された内容に、嬉しさで言葉を詰まらせたリーゼロッテを見ながら、ベルンハルトが言いづらそうに話を続けた。
「場所ですか?」
「あぁ。王都よりは近いのだが、馬車での距離になる。もし、辛いようであれば断ってもらっても構わない」
王城へ行き、あの貴族達と、バルタザールと会う以上に辛い場所などないだろう。
「構いませんわ。わたくしなら大丈夫です。それで、どちらへ行くのでしょうか?」
リーゼロッテが行かなければならないということは、本来であればベルンハルトの訪問先。その代理として行くのはロイエンタール夫人としての務め。どこへ行っても、無事に代理を果たそうと、リーゼロッテは背筋を伸ばした。
「隣の、ディース領へと行って欲しい」
「ディース……」
向かう領地の名前を繰り返した途端、リーゼロッテの目からは涙が零れ落ちた。
王城での挨拶を避けられるだけでなく、訪問先がまさか隣の領地だなんて。
ベルンハルトから与えられる幸福に、信じられないような出来事に、リーゼロッテは涙を抑えることができなかった。
「あぁ。ディースブルク家の令嬢と会ってきて欲しい」
ベルンハルトからの言葉で思い浮かぶのは、親友のアマーリエの顔。
領地の外へ出ることを許されていない彼女と会うのは、もう叶わないと諦めていた。
リーゼロッテが隣の領地を訪問するのなら、それなりの理由が必要で。そんな理由を作り出すことさえできるわけがないと、思い込んでいた。
「ベルっ、ハルト、さまっ」
言葉にならない思いを、どうにかして伝えようと名前を呼ぶが、その声すら泣き声と重なり、うまくいかない。
涙と嗚咽をどうにか止めようとすればするほど、あふれる思いに止まらない。
「今日の貴女は泣いてばかりだ」
そう言って微笑んだベルンハルトの顔に、更に涙が誘われる。
止めようと目頭に力を入れても、とめどなく溢れてくる涙はもう止める術もなく、リーゼロッテはその様子が恥ずかしく、すがりつく様にベルンハルトの手を握った。
「こ、これを」
リーゼロッテが握った手とは逆の手が、リーゼロッテの手にハンカチを握らせる。綺麗に折り畳まれたハンカチを握りしめた。
リーゼロッテが握りしめたまま、一向に使われないハンカチを見て、ベルンハルトがリーゼロッテに握られた手を優しく振り解く。
そして、そのままリーゼロッテの肩を引き寄せた。
「い、嫌でっ、なければっ」
突然引き寄せられた肩と、相変わらずのつっかえた口調に、リーゼロッテの涙が止まる。
普段よりもずっと近くにあるベルンハルトから香る、ほのかな柑橘類の匂いと、引き寄せられたままその胸板に預けることになった頭へ、直接響くベルンハルトの鼓動が、徐々にリーゼロッテの気持ちを落ち着かせていく。
そっと顔を上げれば、予想通り耳を赤く染めたベルンハルトが見えた。
それを見て見ぬふりをして、リーゼロッテは再びベルンハルトの鼓動に耳を澄ませる。
少し早いスピードで、それでも力強く一定のリズムを刻むその音に、どれだけのあいだ聞き入っていただろうか。
リーゼロッテの涙はすっかり乾き、気がつけばベルンハルトの鼓動もゆっくりとしたものに変わっていた。
「落ち着いただろうか?」
「はい。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
くつろぐためのソファだというのに、リーゼロッテのことを支えるその姿勢は、きっとベルンハルトの負担になっただろうと、リーゼロッテは姿勢を正して頭を下げた。
「迷惑などと、思ってない」
そうはっきりと言い切ったベルンハルトの声に、リーゼロッテの心はまた嬉しさで締め付けられる。
「そ、それでディース領で何を?」
嬉しさと、遠慮もなく泣き続けてしまった恥ずかしさで顔を上げられないまま、ベルンハルトに話の続きを促す。
「隣の領地とはいえ、これまでさほど交流もせずにいたからな。貴女はディースブルクの令嬢とは仲が良いようだし、この際親交を深めても良いかと。ただそれだけだ」
「ですが、ディースブルク伯爵は王城に行かれているのですよね? わたくし達の交流にはあまり意味がない気もします」
「意味などなくて良い。何かことを成して欲しいわけではない。貴女が旧友と会うことを楽しんでこれれば良い」
ディース領へ向かうのは、ベルンハルトの代理などではなく、リーゼロッテの私的な訪問だと言う。ロイエンタール夫人ではなく、リーゼロッテとしてアマーリエに会いに行くことができる。
それはこれまで与えてもらうことのなかった時間で、それが生まれ育ったシュレンタットから遠く離れたロイスナーで、出会って一年しか経たないベルンハルトからのもの。
それは奇跡にすら近い出来事で、それを手にすることができるのかと、半ば信じることもできなくなりつつある。
騙されてはいないかと、疑心暗鬼に陥りつつベルンハルトの顔を見上げれば、あの隙のない笑顔が向けられる。その笑顔はリーゼロッテに何ごとも任せておけば良いと、そんな安心感を与えてくれる。
今回ばかりは、ベルンハルトの提案に乗ってもいいだろうか。王城で嫌な思いをするのではないだろうか。隙のないあの笑顔を裏で、ベルンハルトは何かを我慢しているのではないか。
そんな思いが、リーゼロッテの心を占拠してしまう。