募る想いは果てしなく
「……っあ、ぁあ、」

 呻き声を上げながら、男は急に立ち上がった。

 心臓がヒヤリと冷える。
 だが奴は慌てた様子で床を蹴って逃げていく。
 急病センターと連絡を取り合っていた鈴原が、慌てて走り去っていく男の姿に驚き、声を荒げた。

「……あっ! ちょっと待ちなさいよ!」
「鈴原、いい! ほっとけ!」
「でも!」
「……七瀬の手当てが先だ」

 俺の叱咤に、鈴原は大人しく口を閉ざす。
 唇を噛み締めて、男の背中を悔しげに睨んでいる。

 その気持ちは痛いほどわかる。
 奴を逃がして悔しいのは俺も同じだ。
 けれど今、怪我を負っている七瀬を優先しなければならない。
 それがわからない鈴原じゃないはずだ。

「……っ、う……ん?」

 その時。
 足元で小さな呻き声が聞こえて、ハッとした。

「……七瀬!」
「……早坂……?」

 七瀬の瞼がゆっくりと開いていく。
 目が合った瞬間、忘れていた疲労感がどっと全身に押し寄せた。

 あの男が部屋から消えたことも相まって、緊張で張り詰めていた体から力が抜ける。
 重圧から解放された胸は、ただただ安堵感で満たされていた。

「今の状況わかるか?」
「え……わたし意識飛んでた?」
「気を失ってたぞ」
「覚えてない……」

 記憶があやふやのようだった。
 けれど目の焦点はしっかりしてる。
 喋り方も問題なさそうだ。
 ただ頭はぶつけたらしいから、検査入院になるかもしれない。

「七瀬、話できるか? この近くに急病センターがあるだろ。今からそこに行くから。いいよな?」
「んー……」
「不満があったら言ってくれ」
「……あの人は?」

 七瀬の視線が、誰かを探るように彷徨う。
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