募る想いは果てしなく
「部屋にいた男なら、さっき慌てて逃げたけど」
「そっか。よかった」
「……アイツ、青木か?」
「うん」
「殴られた?」
「めっちゃビンタされた。アイツ絶対許さん。今度会ったら10発殴り返す」
「元気じゃん」
「元気だよ」

 心はね。そう付け加えて笑う七瀬の、発言そのものは逞しい。

 でも、俺は知ってる。
 七瀬のへらへらと笑う癖。
 心の余裕からくる笑顔じゃない。
 しんどくて悲鳴を上げている時の顔だ。

 人前で弱音を吐くことを嫌う七瀬は、強がり方もひねくれていてわかりづらい。
 誰に対しても、それこそ俺に対しても。
 『自分は平気』だと笑って誤魔化すから。
 誰も、彼女の本当の声には気づかない。

「ねえ、電話したの気づいた?」
「気づいた。すぐに出られなくてごめん」
「なに言ってんの。助けに来てくれたじゃん」
「俺より鈴原に礼を言ってくれ」

 鈴原が車から飛び出して行かなければ、もっと悲惨な状況になっていたかもしれない。想像しただけでゾッとする。

「あ」

 七瀬が小さな声を発した。
 起き上がった拍子に、ぽたりと赤い滴りが落ちる。

「わっ、七瀬さん鼻血鼻血! ティッシュどこ!?」

 鈴原が慌てた様子で周辺を見渡す。
 コートに血の染みが増えていく様を、七瀬は黙って見入っていた。

「ねえ、私の鼻血いつ見ても美しいんだけど。芸術品かな」
「んなこと言ってる場合ですかぁ……」

 半泣きでティッシュを差し出す鈴原と、そんな後輩を七瀬が面白おかしくからかう、いつもの構図が出来上がっている。
 鈴原が不安がらないように、気丈に振る舞う七瀬の姿はとても彼女らしく、そして痛々しく見えた。

 苦い思いが胸を締め付ける。
 七瀬がここまで酷い仕打ちを受ける必要なんてあったのか、と。
< 61 / 77 >

この作品をシェア

pagetop