募る想いは果てしなく
 診察室を出て、長椅子に腰を下ろす。
 待合室に患者の姿はない。
 院内は木目を基調とした優しい空間だ。
 オルゴール調のBGMが、沈みかけた気持ちを掬い上げてくれる。

 病院の待合室には苦手意識があった。
 でも案外、居心地がいいものだ。
 温かな内装は人に安心感を与えてくれる。
 医師の先生も看護婦さんも、フレンドリーに接してくれて。患者と話しやすい雰囲気作りを徹底しているように見える。

 そこでふと思った。

「……帰りたくないな」

 帰りたい気持ちはある。
 早く休みたい気持ちもある。
 ただ、私の帰る場所はあの部屋だ。
 数時間前まで暴力を受けていたあの場所に帰りたいとは、今はさすがに思えなかった。

 壁時計は21時を表示している。
 随分遅くなってしまった。
 かなえちゃんは自宅に着いた頃だろうか。
 早坂が送り届けてるはずだけど。

『私は1人で帰れるから、早坂もそのまま帰っていいよ』

 そう送れば、すぐに既読がついた。
 即座に返信が返ってくる。
 いま戻るから待ってろ、と素っ気ない反応だった。

 ふふ、と笑みが漏れる。
 早坂は相変わらず心配性なんだから。
 私なら平気なのにね。

「……」

 ……平気、なんだけどな。

 スマホをポケットに戻してから息を吐く。
 膝の上で、両手を強く握りしめた。
 拳がやけに冷たくて、微かな震えが止まらない。
 拭い切れない不安が暗雲のように広がっていく。
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