夜空に月光を。
ザー

彼の足が止まって、視線を上げると海が広がっていた

このまま、どこか行けないところに連れてかれて、やばいことされるんじゃないかとか、警察とか相談所に連れてかれるんじゃないかとか、そんなことは1ミリも思わなかった

ただ、何も考えずに彼の進んでいく背中を追いかけた

その背中は何故か妙な安心感があったから

急にパッとずっと掴まれていた手首がぱっと離される

「ごめん、痛かった?」

そう言って、彼は私の方を見ると、砂浜に腰を下ろした

今までずっと掴まれていたからか、彼の体温がなくなった手首が冷たく感じられる

彼の言葉に首を振って、私も彼の隣に座った

「俺、結城 翠。って、さっきも言ったか」

彼はそう言って軽く笑った

「すい…」

「ああ」

風に乗って、海の香りが鼻に届く

自然と、口が動いて、言葉を発した

「月宮…月宮 初」

「うい、か。いい名前だな」

…いい名前

そんなこと、言われたこともなかった

翠の方を見ると、海の先の水平線を眺めているようだった

もう、さっきの悲しそうな顔はしてなかった

もっと遠いなにかを探すようにただ見つめているようだった

よく見ると、翠はすごく整った顔をしてる

彼のさらさらとした黒髪が潮風に揺れる

風にのったように彼の言葉が私の耳に届いた

「生きてて、嫌なこと…あったのか?」

彼のことばは、さっきとは違ってとてもあたたかかった

私の言葉を待っているかのように、静かな沈黙が少しだけつくられた

「………いいこと、なかった」

別に、死にたいことがあったわけでもない

死にたいと思って、生きてきたわけでもない

それといって、生きたいとも思って、生きてきたわけでもない

ただ、私って生きてる意味あるのかなって思ってしまったんだ

なんのために生きてるんだろうって

「そうか、、」

私がそういうと、翠はポンポンと私の頭を撫でた

なんでかわからないけど、それが心地よかった

…普通なら死のうとなんて思うなよ!とか命を無駄にするな!とか言われるよね

だって、この世界には生きたくても生きれない人がたくさんいるから…

でも、翠はそんなことは言わなかった

ただ…彼の手のひらから伝わる体温が優しかった

それが私には嬉しかった

「帰る、場所は?」

「……ない」

生きてる意味ないなら、必要ないのかも

そう思った時には、もう一人暮らしをしていた家は売り払って、あのビルの屋上にいた

親も事故なのか、病気なのか、私を捨てたのか、わからないけど物心ついた時には、いなくて、1人ぼっちだった

頼れる人なんて、いなかった

「なら、俺ん家来るか?」

「え?!」

「ん?ふっ大丈夫、とって食ったりはしねえよ」

いや、それは心配してないけど…

だって、この数時間で翠はそんな人じゃないって分かったから

「だから、もう死のうとなんかすんな
俺が、初を死なせないから」

なんで出会って少ししか経ってないのに、すぐ死なせないなんて言えるんだろう

そんな、簡単に無責任に。

でも、そんな人についてってみたいと思ってしまう私の方がおかしいのかもしれない

私の先に広がる闇に少しだけ灯火が宿った気がした

海を見ると、太陽が昇ってきていて、さっきまで真っ黒だったあたり一面が光につつまれている

「生きたいって思えるのかな、?思っても、いいのかな」

「当たり前だろ」

私がそういうと、翠はそう言って微笑んだ
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