ショパンの指先
 ピアノを弾いてもちっとも楽しくなくて、俺はなんのためにピアノを弾くのか分からなくなった。ショパンコンクールで入賞して、世界的に有名なピアニストになるというのは、母の夢でしかなかった。俺の夢ではない。

 でも、毎日必死になって働いている姿を見ているので、ピアノを辞めることはできなかった。以前は事あるごとに母に反抗していたのに、それもできなくなった。俺は人形のようにピアノを弾き続けた。家には、嬉しくもないトロフィーが増えていくだけだった。

 高校の時、立て続けに祖父母が死んだ。最初に祖母が病気で死に、その後を追うように祖父も死んだ。その頃から母は急激にやつれて、白髪が増えていった。美しい人だったのに、その面影は日毎に薄れていった。

 そして俺は音大に進み、そこでもピアノの実力はトップだった。ショパンコンクールは五年に一回のみ開催される。

更に年齢制限があり、この年齢制限も度々改定されるので、自分のベストコンディションの時にコンクールが開催されるかは運任せなところもある。当時の年齢制限は17歳~28歳まで。俺は19歳の時に初めて出場資格が整うので、その時期を最高の状態にして挑もうと頑張っていた。

ショパンコンクールに出場するためには世界的に有名なピアニスト二名からの推薦状が必要だった。音大の先生の中には昔有名だったピアニストもいたが、世界的にとなると推薦状を書いてもらうには心許なかった。

 だから俺はショパン国際ピアノコンクールの日本オーディションに出場することにした。そのオーディションで優勝すれば、日本ショパン協会の推薦を貰ってショパンコンクールに出場できる。俺はその機会に賭けることにした。

 コンクール嫌いだった俺も、ショパンコンクールはさすがに真剣になった。ピアニストなら誰もが憧れる夢舞台。世界中に俺のピアノを聴かせて、度肝を抜かせてやりたかった。俺はショパンにはまり込み、周りが一切見えない状態だった。頭の中はショパンのことで一杯だった。

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