ショパンの指先
「洵に会わないと誓うならいいわよ」
 遠子さんはあからさまに意地悪な笑みを見せ言い放った。その言葉の重みに、優馬と私は固まった。
「誓えるの? あなた」
「……働かせてくれるなら、誓います」
「杏樹!」

 優馬が咎めるような口調で言った。

「最初から、洵と会う気はないの。私が自立して成長したい理由に、洵は関係ない」
「それならいいわ。やってみたら」

 遠子さんの言葉に、優馬は頭を抱えた。私は満面の笑みを浮かべ、遠子さんに手を差し出した。すると遠子さんは、「生意気」と言って顔を背け、差し出した手を無視した。私は、気まずくなりながら手を引っ込めた。

「あの、最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
「なに」
「もしも、洵にポーランドに一緒に来てほしいって言われたら、遠子さんならついて行きましたか?」

 私の質問に、遠子さんはハッとした表情を見せた。そして、眉を寄せ悲しそうな笑顔を見せて、こう言った。

「行かないわ。私には夫がいるもの」

 私は遠子さんの悲しそうな笑みを、夫に縛られているから行けないのだと、そういう意味で解釈した。しかし、それは全くの誤解だった。


 そして私はアマービレで働き始めた。

 優馬は私にとても厳しく接した。また、すでに私と顔見知りになっているスタッフ達にも、私に厳しく指導するように伝えていた。
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