ショパンの指先
 優馬の拒否を許さない力強い言葉に、私は目を見開いて顔を上げた。

「嫌よ! 早退なんかしたらアマービレを辞めることになるじゃない!」
「体調が悪くて休むのは仕方ないことでしょ。いくら私でも、それでクビにはしないわよ」

 優馬は呆れたように言う。

「駄目! 一日でも遅刻したり休んだりしたらクビにしてって頼んだのは私なの。絶対に帰らない」
「あんたが嫌でも、そんな状況で接客されるお客様に申し訳ないでしょ。はっきり言うわ、迷惑なの。帰りなさい」
「それなら、皿洗いだって何でもするから! お願い、やらせて」
「全くあんたは本当に頑固な女ね。駄目ったら駄目よ、帰りなさい」
「立ち止まりたくないのよ。一度決めたことをやり通したいの。お願い、働かせて。この通りよ! お願い!」

 私は頭を下げて必死でお願いした。無茶苦茶なことを言っているのは分かっている。でも、こんなところで、こんなことで緊張の糸を切らしたくない。どんなに辛くても頑張るって決めた。だから絶対、負けられない。

「……分かったわよ。本当にしょうがない奴ね」
「優馬!」
「ただし!」優馬は嬉しさで顔を上げた私の言葉を強い口調で遮った。
「ただし、あんたが倒れようと、なんなら熱で死んだって私と店は一切責任取らないわよ」
「上等よ。それでこそ優馬」
 
 私はホールには立たせてもらえず、厨房でただひたすら下げられた皿を洗っていた。たかだか皿洗いと見下していたところがあったが、それはとんでもない間違いだった。

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