ショパンの指先
『愛している洵、愛してる』

 何度も何度も愛していると言った。どんなに言っても足りないくらいだった。ピアノの鍵盤の上に乗せられ、不協和音を奏でながら何度も腰を突かれた。冷たく固いピアノの上で荒々しく杭を打たれても、その痛みすら快感に変わっていた。足を大きく広げ洵を包み込む。何度もキスをして、乳首を噛まれ、途絶えることのない絶頂を迎えた。

 あの日のことを忘れることなんてできない。夢中で求め合った一夜。どんなに強く抱き合っても、何回キスしても、呆れるくらい好きだと言っても足りなかった。狂おしいくらい、愛していた。

 私たちが結ばれた記念にふさわしい曲を弾いてと甘えた時に、洵が弾いてくれたのが『雨だれのプレリュード』だった。

 甘く美しい愛のメロディーは、中間部でガラリと雰囲気を変える。嬰ハ短調に転調し、清々しい小雨は真っ黒な雲を引き連れて不気味な嵐を巻き起こす。

 洵はどんな気持ちでこの曲を弾いたのだろうか。私を抱くと決めた瞬間から、別れを覚悟していたのだとしたら。どんな気持ちで、私を抱いていたのだろうか。

 涙が止まらなかった。身体はまだ洵の感触を覚えている。あんなに深く抱き合ったのに、私は洵の気持ちに気が付かなかった。そんなに深く愛されているなんて思いも寄らなかった。こんなに真摯に誠実に愛されたことなんてなかったから。今だけが全てだと、未来の幸せのことや相手の立場なんて考えられるほど、大人じゃなかった。

 洵は全てを覚悟して、私を抱いてくれたのに。こんなにも洵は、私のことを愛してくれていたのに、私は気付くことができなかった。
 曲の終盤は雲が消え、明るい希望の光が照らしだす。美しいメロディーはゆっくりと消えていく。
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