ショパンの指先
けれど、だから何だ。

 洵は一年で、コンサートを開けば即日完売の超売れっ子ピアニストに成長した。反面、この一年で私がしていたことといえば、少ない月給で朝から夜遅くまで働くレストランの接客業。洵のように海外で揉まれ、語学を勉強していたわけでもない。

 けれど、だから何だ。

 だからって私が卑屈になる理由はどこにもない。私は私なりに歯を食いしばって頑張ってきた。下手くそな絵でも寝る間を削って真剣に描いたし、接客業だからってバカにされる覚えはない。私はこの一年、頑張った。本当に、本当に頑張った。辛いこともいっぱいあったし、逃げ出したくなるくらい悔しいこともあった。高熱で倒れるまで働いたこともあった。全てのことを私は誇りに思う。

 私の半生は、決して褒められるようなものじゃない。実体を何も知らないのに、ただ聞いただけで嫌悪されるようなことをしてきたかもしれない。

 けれど、だから何だ。

 私は確かにバカだったかもしれない。流れに身を任せて間違った道を歩いてしまったかもしれない。でもそれがあったから洵に出会えた。それだけで私の半生は色鮮やかで特別なものに変貌を遂げる。

 私は、前を向いて歩く。顔を上げて、背筋を伸ばして、沢山の観客たちの間を通り抜けて、真っ直ぐに歩いていく。

 檀上に上がるための階段がスタッフにより手早く取り付けられ、私はその階段を一歩ずつ昇っていく。

 ステージに上がると、洵が真っ直ぐに私を見つめていた。駆け寄ればすぐにでも触れられる距離。近いようで遠くに感じ、洵の顔を見たら泣きそうになった。

 ああ、変わってないな。男らしく頼もしく見えるけど、やっぱり洵は洵だ。整った目鼻立ちも、薄い唇も、小瓜型の小さな顔も、私がずっとキャンパスの影から食い入るように見続けてきた洵だ。
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