怪物公女の母でしたが、子煩悩な竜人皇子様と契約再婚致します
26 皇帝からの提案
テオドールはこれまで皇帝からのどの様な命令も淡々と従っているだけの存在だった。
幼い頃から孤独だったテオドールにとって、父である皇帝の命令は絶対だったからだ。
魔力の暴走を抑える事が出来るのは皇帝が所有する魔晶石だけで、彼がどれ程の功績を積み上げても魔晶石がその手にある限り、テオドールは皇帝の命令には逆らえない。
しかし今は違う。
マリアンヌから借りている魔晶石のお陰で、もしもテオドールの魔力が暴走しても、抑える事は出来る。
孤独だった過去とは違い、今は守らなければならない家族がいるのだ。
どの様な理不尽な命令でも
どの様な条件を出されても
マリアンヌを側妃にし、他の令嬢を正妃にするなどテオドールにとってはあり得ない事なのだ。
「テオドール。悪い事は言わない。離縁はしたが、婚姻中にお前との間に子が出来ていた事は事実だ。おかしな噂が立つ恐れのある者を正妃にする事は皇家の信頼を失墜させる事になり兼ねない」
相手に有無を言わせない皇帝ルードヴィッヒの口調に、これまでのテオドールであれば黙って従っていただろう。
第三皇子の結婚は他国との友好関係を維持する為か、皇帝の力を盤石にする為のものだ。
マリアンヌから契約再婚の申し出があった時、テオドールは面倒な公爵令嬢との結婚の打診に辟易していた。
いつまで皇帝の操り人形でいなければならないのか、先の見えない不安と苛立ちもあった。
それでも皇帝の心を変える事が出来なければ従うしか無いと……。
しかしマリアンヌとエリーンの存在がテオドールを変えた。
マリアンヌとエリーンがずっと笑顔で幸せでいる事。
それ以外何も要らないと思える。
テオドールは皇帝ルードヴィッヒを正面から真っ直ぐ見つめると力強く宣言した。
「父上。私はマリアンヌと結婚します。それ以外のご命令でしたらどの様な理不尽な事でも喜んで従いましょう!」
***
――フィリップ皇子は仔牛のステーキにナイフを入れながら、じっとテオドールを観察していた。
切り分けるたびに湯気を立てる仔牛のステーキは、肉汁が銀の皿に滲み、赤い滴が光を帯びて広がっている。
(へぇ……。大人しいテオドールがここまで感情を露わにするとは。しかも、結婚を認めて貰えるならどんな理不尽な命令でも聞きそうだな。面白い。今まで一番つまらない人間だと思っていたんだけど、これは期待出来そうだ)
血の滴る柔らかな仔牛のステーキの一片を口に運び、唇を濡らす赤を舌で一撫ですると、フィリップは口元をナプキンで拭い、ニヤリと笑った。
「別にいいんじゃない? 父上、テオドールがどんな命令にも従うならそっちの方がお得だし面白い。それにさぁ……。皇家の血筋の公爵令嬢との縁談なんて、側妃の子に帝位継承権を求める貴族派に格好の口実を与える様なものだよ。離婚前にテオドールの子を身籠ったふしだらな女と結婚させた方がうるさい奴らを黙らせる事が出来るよ?」
――その瞬間、テオドールの瞳がギラリと光る。
怒りに燃える双眸がフィリップを鋭く射抜き、勢いよく立ち上がったテオドールの掌は長卓を叩き据えた。
鈍い衝撃音が広間に木霊する。
銀器はその反動で転がり真っ赤なワインが絹地の卓布を伝い、鮮血の様に広がっていった。
「マリアンヌはピレーネ国の大公アレクシスにずっと虐げられていた! マリアンヌをその様な汚い目で見る事はやめて頂こう!」
感情をむき出し、義兄に詰め寄るテオドールに皇后は冷たい瞳を向けた。
「――本当になんて乱暴なのかしら。これだから野蛮な国の子は……。でも、確かに不貞を働いた女との結婚の方がテオドールの立場は無くなります。わたくし達の反対を押し切って無謀な結婚をした愚かな皇子……。その方がわたくし達に同情の目が向けられますわ。貴方にはぴったりのお相手ね」
皇后はワインを飲み干すと、亡くなった側妃に瓜二つの皇子が最も傷つく言葉を敢えて口にした。
「――テオドール、貴方は生まれてきた事自体が間違っているの。死んだあの女も貴方の誕生を望んでいなかったわ。その証拠がその身体に宿った呪われた力よ。母親からも呪われるなんて本当に気味が悪い。婚約者の元大公妃は、貴方のおぞましい姿を見れば逃げ出すでしょうね」
「――っ……それは……」
マリアンヌに全てを打ち明けていないテオドールの表情は曇った。
(そうだ。私は呪われた力で変化した姿をマリアンヌに打ち明けてはいない。もしも彼女がおぞましい私の姿を見たら、皇后の言う様にエリーンを連れて逃げ出してもおかしくはない。大公アレクシスの脅威も無くなった今、契約再婚の約束も反古にしたいと思うかもしれない)
暗い表情になったテオドールを見て、皇后はクスリと笑った。
「あら……。適当に言ってみたのだけれど、図星だったみたいね。呆れた。所詮貴方が声高に唱えている愛というものも、呪われた皇子には過ぎた願いなのでしょう。身の程をわきまえなさい」
憎い側妃の息子の心を傷つける事に成功した皇后は満足そうに頷くと、椅子を静かに引き、ゆったりと立ち上がる。
裾を引く深紅のドレスが石床を擦り、燭台の灯が僅かに揺らめいた。
皇后が侍女達を従え、振り返る事もなく扉の向こうに姿を消すと、冷ややかな余韻だけが広間に残った。
***
マクシミリアンは、晩餐が始ってから一言も発せずに成り行きを見守っていた。
(まさか、旧友のアレクシス大公の間男がテオドールだったとは……。アレクシスは離縁を阻止する為にこの私に頭を下げて頼んでいた。気の毒なアレクシス。きっとマリアンヌという女は男を狂わせる毒婦なのだろう)
アレクシスは、母である皇后ロゼリアを傷つけてまで得ようとした愛の結晶が父に歯向かう姿を皮肉混じりにじっと見つめる。
物心がついた時から皇帝の心は母には向いていなかった。
正妃を無視し、夢中になっていた歪んだ愛は、テオドールの誕生と共に消えた。
マクシミリアンは幼少期の記憶の中で皇后ロゼリアがいつも泣いていた事を思い出していた。
側妃に夢中だった皇帝は贅沢な離宮を彼女に与え、高価な宝石をいくつも買い与えていた。
敗戦国の戦利品として娶った側妃はいつも氷の様に冷たく蔑んだ様な瞳をしていて、子供だったマクシミリアンは心の中で彼女の事を『氷の女王』と呼んで恐れていた。
皮肉なものだ。
その『氷の女王』の息子であるテオドールは燃える様な瞳で真実の愛という幻想に惑わされている。
マクシミリアンは皇后とは違い、テオドールを憎んでもいないが、関心も無かった。
弟として見た事は一度も無い。
テオドールが誰と結婚しようが全く興味は無かった。
「マクシミリアン、先程から何も意見が無いが、お前はテオドールの結婚相手について意見は無いのか?」
――父である皇帝の言葉にハッとなる。
マクシミリアンは、テオドールから視線を逸らすと、にっこりと微笑んだ。
「父上……。テオドールが誰と結婚しても私は特に興味はありません。他人の愛する人を奪えば、いつか必ず報いが来るでしょうけど」
皮肉交じりに放った言葉は、少しは父上に届いただろうか。
どんな贅沢なドレスも宝石も、側妃の心を動かす事は出来なかった。
『氷の女王』は愛する男と結ばれる事は叶わず、自国を滅ぼした皇帝を最期まで呪っていた。
テオドールは、愛する女と結ばれて、いつか報いを受ける事になるのだろうか。
***
――皇帝は咳払いをすると、二人の皇子と皇后の意見に考えを巡らした。
剣術も勉学も優秀なテオドールは、この先二人の皇子達の脅威になり兼ねない。
テオドールを支持する貴族達がいる事も事実だ。
確かに皇家の権威を守る事よりもこの男の評価を堕とし、利用した方が良いかもしれない。
皇帝ルードヴィッヒは、ゆるやかに身を乗り出すと口元に笑みを浮かべた。
「――なるほど。公爵令嬢との結婚という輝かしい未来よりも元大公妃の女を娶りたい……それが望みなのだな?」
テオドールは膝をつくと、迷う事なく答えた。
「はい。マリアンヌとの婚姻を認めて下さるのなら、いかなるご命令にも従います」
皇帝の眼光が鋭く光った。
「ならば……条件を付けよう。第三皇子に帝位継承権を求める動きがあるのは知っているだろう。二度とこの様な意見が出来ぬ様に……帝位継承の権利を永久に放棄せよ」
張り詰めた空気にも拘らず、テオドールの瞳は全く揺れる事はなかった。
「――もとより、私は帝位継承権を求めてはおりません」
揺るぎないテオドールの表情に、皇帝は満足すると、更に言葉を重ねる。
「そしてもう一つ。近年魔獣がその数を増やしている事は承知しているな。数年に一度とはいえ、収穫期を迎える今の時期が危険なのだ。戦争が終わり、帝国の脅威は魔獣だけとなった。魔獣討伐隊を作り、帝国から魔獣を絶滅させるのだ」
テオドールの瞳が大きく見開かれる。
皇帝の言葉に思わずフィリップはヒュウと口笛を吹いた。
「父上も酷いなぁ。いくら呪われた魔力でも、魔獣を根絶やしにするのは無理なんじゃない?」
マクシミリアンは、あまりにも理不尽な条件に息を飲んだ。
「父上……それはあまりにも……」
魔獣が巣食う森は生還者すら稀な死地なのだ。
これまでの戦争よりも酷い条件だ。
――しかし、テオドールは立ち上がると父である皇帝を真っ直ぐに見据えた。
「マリアンヌを娶る事が出来るのなら……私はその条件を受け入れましょう。
***
重い扉が閉じ、テオドールの背中が広間から消えると、張り詰めていた空気はこれまでの緊張から一遍して緩やかになった。
フィリップが真っ先に口を開く。
「あはは。まさかあれだけ無謀な条件を即答するとはね。馬鹿なんじゃないの? 父上も酷いですねぇ」
唇の端に笑みを浮かべたままワインを一口飲んだフィリップは、ワクワクする気持ちを抑える事が出来なかった。
(テオドールがあんな条件を飲んでまで、娶りたい女か……是非見に行かないと)
マクシミリアンは困惑しながら杯を置いた。
「帝位継承権を放棄させたのは正解ですが……」
二人の皇子に満足げに頷いた皇帝はニヤリと笑った。
「テオドールの呪われた竜人の魔力は魔獣の巣窟を一掃するだろう。しかし……その魔力を使い過ぎた場合は……その時はあの元大公妃は可哀想な事になるかもしれぬ」
マクシミリアンが息を飲んだ。
「父上……まさか、約束を反故にするおつもりですか?」
皇帝の笑みが深くなる。
「――約束は守る。だが……愛する婚約者がその時も今と同じ気持ちでいられるかは知らぬがな……」