怪物公女の母でしたが、子煩悩な竜人皇子様と契約再婚致します

27 すれ違う心


 「マリアンヌ様……昨夜、テオドール殿下は晩餐会に出席されたままお戻りになりませんでしたね。何かあったのでしょうか……ルイス様の姿もありませんし」

 皇帝とテオドールの関係性が良くない事は貴族の間では有名な話だ。
 側妃の子を疎ましく思う一方で、戦争が始まればその高い魔力を利用する事も。

 これまで何度も魔晶石を楯に危険な任務を命じられてきたテオドールは皇帝の狂犬とまで言われている。

 ローラの言う通り何かあったのではないかと心配していたマリアンヌは、昨夜一睡も出来ずにいた。

 「テオドール殿下が『呪われた皇子』と呼ばれているのは高い魔力が暴走するからですよね? なんだか私達ピレーネ公国の異能者と似ている気がします」

 「確かに。魔力持ちの人はこの帝国に大勢いるけれど、魔法を使う人の魔力が暴走する事なんて殆ど見た事は無いわ」

 ピレーネ公国の異能者はその力を使い過ぎると、異能の力が暴走する時がある。
 そしてテオドールも、魔力が暴走して魔晶石を使わなければ制御不能になるのだ。


 「ローラ、ルイス様は魔法と異能の違いについて、なにか言っているの?」

 すやすやと眠るエリーンの寝顔を見つめながら、マリアンヌはルイスから魔法の訓練を受けているローラに質問した。

 トリノ離宮に移り住んでから、ローラの仕事が激減した事もあり、以前よりも長い時間を掛けてルイスはローラに魔法を教えているのだ。

 異能と魔法は非常によく似ている。
 けれど術式を使う魔法と、生まれつきその力が自然と扱える異能は根本的に違うという事は、何となくは理解しているのだが、その原理を知りたいとマリアンヌは考えていた。

 マリアンヌの質問に、ローラは師匠であるルイスの言葉を一生懸命思い出していた。

 「ええっと……確か……。この世界の人間は多かれ少なかれ魔力はあるのだそうです。魔法は、自分の持ってる魔力を使って世界に流れる理? を借り受けて発動する技なんだそうで……。大気に満ちるマナを利用して古代からの術式を使うのですが、根本は『外の力』を借りて形にするそうです」

 難しい言葉にマリアンヌは眉を寄せた。

 「それで……異能は魔法と何がどう違うの?」

 ローラは自身も持っている異能についてルイスから聞いた事を説明した。

 「異能は……魔法とは真逆の性質を持つそうです。外からの力を借りるのではなく、自分の肉体や魂そのものに刻まれた歪み? から生じる力だって聞きました。肉体や魂の一部なのですから、使い過ぎれば暴走する。学んで得る力ではなく血に宿る奇跡……あるいは……その……」

 言い淀むローラにマリアンヌはコクリと頷く。

 「――大丈夫よ。言って」


 「あるいは……呪いなのだと言っていました。異能者は古くから恐れられ、時に王族に縛られ、時には神として利用された歴史があると……。今のテオドール殿下の力は亡くなられたタシア王女様から受け継いだ異能なのだそうです」

 マリアンヌはポツリと呟く。

 「つまり……魔法は技術で、異能は……存在そのもの……って事……」

 テオドール様の魔力暴走は母親から受け継いだ異能の力。
 でも彼は魔法も操っている。
 そして魔力が暴走する時は……。


 「だから、ルイス様が厳しく私に教えて下さっているのは、必要以上に自分の異能を使い過ぎない様に魔法をなるべく使う訓練なんです」

 ローラの言葉に、マリアンヌは我に返った。

 「――そうね。ローラが異能を暴発したら危ないものね」

 マリアンヌの言葉にローラは小首を傾げて難しい顔をした。

 「――? でも、私は異能が発動した事は無いので、どれ位の力があるのか分かりませんよ? 案外拍子抜けする様な異能かもしれませんしねぇ。なにしろ、魔力のある異能無しなので」

 マリアンヌは、ローラがテオドールの屋敷を全焼させてしまった事は心に押し隠し、にっこりと微笑んだ。

 「そうね……。エリーンに、もしも異能の力を発動してしまった時に備えてローラは引き続き訓練お願いするわ」

「確かにそうですね。エリーンお嬢様に異能が現れる可能性は否定出来ませんから」

 その時、エリーンの口元がモグモグと動き、薄っすらと目を開けた。

 「あら……うるさかったかしら。起きたの? エリーン……」


 抱き上げようとマリアンヌが近付くと、エリーンは突然、ぷくりとした小さな手をぐっと握り締め可愛い腕を突っ張ると、ころりと身をよじらせた。

 そして柔らかい布地の上で、今まで出来なかった寝返りを見事にやってのけたのだ。

 「ええっ? 嘘……まさか……」

 マリアンヌの菫色の瞳が大きく見開かれる。
 エリーンは自分の偉業を理解しないまま、大きなクリクリとした瞳でキョトンとしていた。

 「凄い……! 凄いです! まだ三か月でこんなに早く寝返りを……」

 感動したローラは早くも目を潤ませている。

 「あぁ……エリーン……貴女の初めての寝返りを見られるなんて!」

 回帰前、乳母に任せきりで見る事が出来なかったエリ-ンの初めての寝返り。

 マリアンヌは胸の奥からせり上がる喜びに口元を覆った。

 「可愛いエリーン。貴女は一体何度私を幸せにしてくれるのかしら」

 そっと、エリーンを抱き上げその小さな額に口付ける。

 ――離宮に春の陽だまりの様な幸福が満ちていた。


 ***


 「へぇ……。あの女がテオドールが夢中になった元大公妃か……」

 ピレーネ公国の大公アレクシスが正気を失い、義弟テオドールの心を奪った毒婦はどんな女性なのか……。


 トリノ離宮に忍び込んだ第二皇子フィリップは僅かに開いた扉の隙間から視線を送っていた。

 温かい陽だまりの中で赤子を抱き上げている女。
 美しい瞳を輝かせ、驚きと喜びに声を震わせる母親の姿だ。
 しかも……。

 ただ、小さな赤子がころん、と寝返りを打っただけの……。
 それだけの事に感動するとは。

 ――フィリップは思わず口元に笑みを浮かべた。

 「面白いな……。たったそれだけの事で感動する女か」

 皇帝や、王太子はこの女をとんでもない毒婦だと思っている。
 それが実際には赤子に無償の愛を注ぐ純真無垢な女性だとは。

 その落差が興味をそそる。

 フィリップはマリアンヌの腕に抱かれた赤子を見つめ、微笑んだ。
 小さな儚い存在の赤子と母親が、テオドールのこれからの運命を左右するのだ。

 フィリップの唇の端に薄ら笑いが浮かぶ。
 日差しに照らされた離宮の廊下で、密やかな興味が胸をくすぐった。

 テオドールが命じられた魔獣退治の原因が自分のせいだと知った時、この母子はどの様な顔をするのだろう……。

 「なるほどね……。面白くなりそうだ」

 ポツリと呟き、興味と皮肉の混じった感情を心の中で楽しむ。

 長いマントを翻すと、フィリップは静かに長い廊下を抜ける。
 窓から差し込む光が彼の横顔を一瞬照らし、すぐに影の様に歩みを速め離宮の中庭へと消えていく。

 ――退屈しのぎにしては、悪くない1日だった。


 ***

 その夜の事だった。

 春先の夜気がまだ冷たく感じられ、マリアンヌは薄手のショールを肩にかけながらブルリと震え、バルコニーに佇んでいた。

 テオドールが戻らなくなってから二日目の夜を迎え、マリアンヌの不安は益々高まる。

 昼間はエリーンの世話で気を紛らわせる事が出来た。
 けれど、寝息を立てた子を寝かしつけた今は……。

 冷気が頬を刺し、遠くの庭園に点々と灯る灯りが揺れている。

 「――テオドール様……。何があったのですか……?」

 ポツリと呟くマリアンヌの背後に突然眩しい光が拡がった。
 床に浮かぶ魔法陣に驚き振り返った瞬間、光の柱の中からテオドールが姿を現す。

 「テオドール様……っ!」

 驚きと安堵が入り混じった声が思わず漏れた。

 マリアンヌは堰を切った様にこれまで不安だった感情が溢れ出す。

 「テオドール様! 何があったのですか? まさか、また皇帝陛下から危険な任務を?」

 真っ青な顔をしたマリアンヌに、テオドールは柔らかく首を振り、言葉を探す様に視線を落とす。

 テオドールのルビーの様な深紅の瞳が揺れた。

 「マリアンヌ……。心配をかけて申し訳ない。実は皇帝陛下のご命令で……ひと月ほど辺境を守る騎士団の訓練に行く事を命じられたのだ」

 テオドールは、トリノ離宮で過ごすマリアンヌにこれ以上不安を感じて欲しくなかった。

 (この嘘でしか、マリアンヌを安心させる術がない……。貴女を幸せにしたいのに……)

 「辺境での訓練……ですか?」

 マリアンヌの菫色の瞳に、疑念と安堵が入り交じる。

 (皇帝陛下がテオドール様にそんな任務を……?)

 信じたいのに、何故か心はざわつき背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 「簡単な仕事だけれど、王都から少し離れているから……。マリアンヌが心配する事ではないよ」

 テオドールは優しく微笑むとそのままマリアンヌをじっと見つめた。

 「急ぎの任務だったのだが……。マリアンヌとエリーンの顔を見ておきたくて。その……。戻ったら、大事な話がある」

 真剣な表情で告げるテオドールの言葉に、マリアンヌの胸が微かに痛む。

 (もしかしたら……。テオドール様は契約再婚の解消をお望みなのかもしれない……)


 無理に笑顔を浮かべたマリアンヌの唇が僅かに震える。

 「――はい。分かりましたわ。エリーンと二人でテオドール様のお帰りをお待ちしております」

 テオドールはその微笑みの裏にあるものに気付く事はなく、ただ短く頷いた。

 「待っていて欲しい。マリアンヌ……」


 ――次の瞬間、テオドールの姿は光の中に消え、バルコニーにはマリアンヌと春の夜風だけが残された。

 マリアンヌは胸の奥に渦巻く不安を抱えたまま、両腕で自らを抱き締める。

 「テオドール様……どうかご無事で……。私は大丈夫ですから」

 何を告げられても、涙を流してはいけない。

 テオドール様は優しいお方だから……。


 庭園の淡い灯りが涙で滲んで揺れていた。



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