氷と花

 六年前に亡くなったマージュの父は、名をトーマス・バイルといった。
 彼は宣教師で、ネイサンとフレドリックの父である故・ポール・ウェンストンの親友であり、恩人であり、恩師でさえあった。

 精力的な新興実業家であるポールと、真面目な宣教師であるトーマスがどういう経緯で親友となったのかは今も疑問が残るが、マージュが物心ついた時にはすでに、父は毎日のようにダルトンにあるウェンストン家の屋敷に入り浸り、政治や文学や哲学について時を忘れて語り合っていたものだ。

 ふたりの男の友情は、実業家であるポールが、新しく産業に栄え始めた街・ウィングレーンに移り、綿工場を経営し始めてからも続いていた。

 しかし、六年前に流行病がトーマスを蝕み、懸命の看病もむなしくあっというまに亡くなってしまう。
 早くに母親も亡くしていたマージュは、天涯孤独になるところだった……。

 しかし、ポール・ウェンストンは、親友の忘れ形見である一人娘マージュが孤児院に送られるのを、黙って許すような男ではなかった。

 学校に通うためダルトンに残っていたフレドリックと、ポールの妻がマージュの身柄を引き受け、体面上「奥方の話し相手」という職名を与えられ、ウェンストン家の世話になることになったのだ。


 ポール本人と、当時すでに二十歳を超していた長男ネイサンは、ビジネスのために一年の大半をウィングレーンで過ごしていたので、年末やなにかの記念日に数週間滞在するだけで、あまり顔を合わせる機会はなく。

 そのうえ、ポールは年々、ネイサンに工場の経営権を譲り始めていたらしく、ポールがひとりで帰省することも珍しくなかった……マージュにとってネイサンは、年に一度顔を合わせるか合わせないかの、縁遠い存在だったのだ。

 対して、一年しか年の違わなかったフレドリックとマージュは、すぐに切っても切れない親友となり、年を重ねるにつれ恋仲になっていった。

 一年の終わりが来ると、ダルトンの屋敷に一週間ほど滞在して、挨拶もそこそこに消えてしまう厳しい顔をしたフレドリックの兄。

 それが長年、マージュにとってのネイサンだった。

「トーマスが亡くなる前に、君の面倒を一生見ると約束したんだ……」
 ポールは時々、亡き親友の娘を懐かしそうに眺めながら、そう語った。

「君がフレドリックと結婚してくれるなら、これほど素晴らしいことはない。わたしは近いうちに老いゆくが、わたしの息子が君の面倒を見続けてくれるだろう。おまけにわたしの息子は英国一美しい娘を手に入れるわけだ」

 もちろん、マージュの容姿はせいぜい、ダルトンで一番可愛らしいとか、その程度である。

 ポールはおおらかで周囲の人間を楽しませるのが好きな男性で、フレドリックは間違いなく父の性格を受け継いでいた。大げさにマージュを褒めそやし、受け入れ、愛してくれていた。

 すべてはおとぎ話のように順調に進んでいたのだ……。
 一年前に、ウェンストン夫妻が、馬車の事故で二人一緒に亡くなってしまうまでは。

< 10 / 85 >

この作品をシェア

pagetop