深を知る雨
何か大きな物を引き摺りながらやって来る楓をまず発見したのは、たまたまバラックの外にいた薫だった。
一体何を持ってきているのかと目を細め、人であることに気付いた薫は自身の目を疑う。
「お前、それ……」
薫たちのバラックの近くのゴミ山に男の死体を捨てた楓は、その場に座り込んだ。
薫の声音から異変を感じたらしい佳祐もバラックの外に出てくる。
しかし楓は2人などまるでいないものかのように虚空を見つめ動かない。
「……人を……殺しちゃったの……?」
佳祐がゆっくりと問うが、楓は答えない。
代わりに、暫くして、口を開いた。
「助けたかっただけだったの……」
力のない声だった。
「お母さんを助けなきゃ、助けなきゃって……それだけのために、この1年……でも、違った。あたしの独り善がりだった。誰もあたしなんて必要としてなかった」
薫と佳祐は、ただ黙って楓の華奢な背中を見ていた。
「ゲノムの情報、取られた……ッ、一生戻ってこない……!どこで使われてるかも、何に使われてるかも分かんない!この男に売られた!あたしの遺伝情報全部、見ず知らずの人に見られてる!あたしの知り得ないことですら知られてるかもしんない!もうやだ、気持ち悪い、もうやだ……、」
この男とここで息絶えること。
それが自分にお似合いの死に様なのだと、楓は思った。
しかし。
「ぼくは楓ちゃんが必要だよ」
それを許さない男がそこにはいたのだ。
「楓ちゃんが来るようになってから、薫だって明るくなった。楓ちゃんの元気な笑顔に救われたのはぼくだけじゃない」
大神佳祐という少年は、辛い思いをしている幼い少女を放っておけるような人間ではなかった。
「大丈夫。もう何も心配はいらない。あとはぼくたちが全部何とかする。楓ちゃんはもう十分頑張ったでしょう……?必死に誰かを助けようとしたんでしょう?なら、今度は楓ちゃんが助けてもらう番だよ」
「……助けてくれなんて、言ってないわ」
「助けてほしいとは思ってたでしょ……?言葉にしなかっただけで。ずっと助けを求めてたでしょう……?」
「あたしは誰かに助けてほしいなんて思ってない!自分の力でどうにかできる!」
「できないからこんなことになったんだよ。1人じゃできないことを、1人で抱え込もうとしたから」
佳祐は厳しいことを言いながら、楓の前に横たわる死体を一瞥した。
「――ねぇ、楓ちゃん。助けを求めるのは悪いことじゃないよ」
――――「僕に助けを求めに来るなんて時間の無駄だ」
「何でも1人で抱えようとしちゃだめだ」
――――「悪いが僕は金では動かない」
「“助けて”の一言さえあれば、ぼくたちは楓ちゃんの問題に、遠慮なく関わっていける」
助けてほしい時に
必ずしも
救いの手を
差し出してくれる人間が、
いるとは……
「ぼくたちはきっと楓ちゃんを救うよ。楓ちゃんがこれからも笑っていられるように」
――――強がりな少女の殻が、壊れた。
「…………助けて……」
楓がその言葉を口にしたのは、あの時以来のことだった。