深を知る雨




「どうする気だ?兄貴」


楓をバラックの中に入れて休ませ、詳しい事情を聞いた佳祐は、薫と共にゴミ山の上を歩き回っていた。

佳祐は何かしようとしているようだが、薫にはそれが何なのか分からない。


「使えるもんはないかなーって思って……。あ、これとかいいんじゃない……?まだ動くかなぁ」


佳祐がゴミの中から引きずり出したのは、ヘッドライトとミラーの壊れている、一台の古いバイクだった。

飛行機能は無いようだが、走ることはできそうだ。


「育成所の車ってでかでかとロゴついてるやつだよね……?それに、この辺の育成所って1つしかないし、通る道は絞れそうじゃない……?」
「……追い掛ける気か?」
「そうそう。ほら、薫も後ろ乗って」
「使い方分かんのかよ。それ、古い型だろ」
「なーんとなくやればきっと大丈夫……」
「……あいつは連れていかねぇのか」


薫はちらりと自分達のバラックの方を見た。

中では楓が1人で体育座りをして待っている。


「ちょっと休ませた方がいいと思うから……」
「今1人にするのもどうかと思うぞ。多分あれ、超能力が暴走した結果だろ。本人もきっと動揺してる」
「だからこそ、だよ。今あの子を連れ回すのは危ない。……あぁ、一緒に居てあげたい……?ならぼく1人で行くけど……」
「誰が1人で行かせるかバカ兄貴!何し出すか分かんねぇ奴を1人で行かせる方が危ねぇよ」
「ふふ、残念……久し振りに暴れようかと思ってたのに」
「兄貴が言うと笑えねぇ……」


佳祐という少年は実は、そのおっとりした雰囲気からは想像できない程の破壊魔だった。

楓の前では控えているが、同じスラム街にいる連中と喧嘩になった時には相手を――そして周囲を滅茶苦茶にするまで止めない。

それは共に生活する薫でも手に余ると感じるほどで、薫はできれば佳祐に能力を使ってほしくないとすら思っている。



2人はバイクに乗り、曲がりくねった道路を通ってスラム街から出た。

ブオオオオオオンと耐え難い騒音がする。


「うっっっるせぇ……!兄貴、この音どうにかできねぇのかよ!」
「うーん……やっぱ壊れかけてるからかなぁ……それともぼくの操縦の仕方の問題……?もしかして古いバイクは全部こんな音がでるのかな……」
「何分走れるか微妙だな……」
「まぁ無理になったらその辺の車に飛び移ろっか……」


その辺の人類にはなかなかできないであろう動きを当然の如く求めてくる佳祐にやれやれと溜め息を吐いた薫は、バイクが止まらないことを祈りつつ佳祐にしっかり掴まった。


――――幸いなことに、育成所の車はそう探さずとも見つけることができた。

地上の主要道路を走っているその車を、その隣の道を走りながら驚異的な視力で見つけた佳祐は、ぼそりと呟く。


「……まずいなぁ……もうすぐ飛行モードに入るみたい……このままじゃ追い付けない……」


しかし、次の瞬間には何か思い付いたようににやりと笑った。

その顔を見て佳祐が何をする気なのか分かった薫は、慌てて叫ぶ。


「……おい、兄貴!やめろ!」


――しかし既に遅く、佳祐はスピードを最大にして育成所の車に真横から突っ込んでいった。


大きな音を立てて車と衝突したバイクは、元々壊れかけていたこともあり衝撃で分解され、薫と佳祐は宙に投げ出される。


「な、何だ……!?」
「子供!?」


車の中にいた2人の職員は慌てて窓を開けて外に身を乗り出すが、そこには無傷の少年たちが立っていた。

職員たちは顔を見合わせる。


「……あの格好……貧民窟の子達だな。物乞いでもしに来たのか?」
「参ったな、こんなところでも襲われることがあるのか」
「絡まれたら面倒だ。出すか」


幸い車は凹んだ程度だったので、職員たちは佳祐と薫を振り切ろうと車を走らせた。



――――しかし。

ガンッ!と大きな音がしたかと思うと、ボンネットの上に1人の少年が乗っていた。

佳祐は走行中の車に余裕で追い付いたのだ。


「返してくれませんかぁ……?チップ」


ふにゃり。その柔らかい笑顔が不気味に見えて、職員たちの身にゾッと寒気が走る。

ゲノム情報チップの売買は法律で禁止されている。

違法行為が見ず知らずの少年にバレてしまっていることに恐れをなした職員は、佳祐を振り落とすべく飛行モードに入った。


「……あー……話聞いてくれない感じですかぁ……そうですかそうですかぁ……」


佳祐がふと手を翳す。


次の瞬間、車体が潰れた。


薫と同じく状態変化能力者である佳祐の圧力操作により車の飛行機能を担う部分が破壊され、飛びかけていた車は地上に落ちた。

それは後ろを走っていた車にぶつかって行き、そのまた後ろの車も巻き込み、主要道路を走っていた車が次々と破壊されていく。


「バカ兄貴ぃぃいいいい!!」


薫が悲痛な叫び声を出す。

被害を大きくすればするほど、これがスラム街の子供による仕業だと分かった時の世論が変わる。

あまり問題を起こし過ぎると今彼らの住んでいる場所が閉鎖される可能性もあるのだ。

しかし佳祐は薫ほど後先を考える人間ではない。

ふふっと笑ったかと思えば問題の車にゆらりゆらりと近づいて行き、ドアを溶かして中にいる震える職員たちを見る。

潰れているため反対側のドアは開かない――逃げられない。


「返してくれませんかぁ……?チップ」


再び同じ言葉を吐いた佳祐に対し、職員たちが取れる行動は1つである。

命の危険を感じた彼らは、必死に鞄を漁って先程高額で買ったチップを取り出し、震える指でそれを手渡した。


「ありがとうございまーす……。……さて」


正方形のチップをポケットに入れた佳祐は、車から3歩後退した。


「うちの弟の好きな子泣かせたお仕置きをしなくちゃね……?」


佳祐がクスリと笑った次の瞬間、大きな音を立てて育成所の車が爆発する。


当然ながら騒ぎになり、人が集まってきた。

消火ロボットと警察もちらほら見える。

薫は慌てて佳祐の手を引いて走った。


「何やってんだよ!殺す必要はなかっただろ!?」
「殺すまではやってないよ……。運が良ければ生きてると思う……」


走りながら佳祐がまだ物足りなさそうにしていることに気付き、薫は自分が止めなければまだやっていたのだろうとその日何度目かの溜め息を吐いた。




――一方その頃、楓はといえば。

バラックにはいなかった。

こちらもやはり、大人しく1人待っているような女の子ではない。

彼女は今後のことについてよく考え、今一度芳孝と対峙することにした。

言葉で自分を縛り、“助けて”のたった一言を言えなくした実の父親と、楓はもう一度話すことにしたのだ。


「家出してきました。あたしを預かってください」


1年前と同じ場所に、楓は芳孝を呼び出した。

受付のお姉さんは、以前のこともあってかチラチラと楓と芳孝を見ていた。

楓はこの日、芳孝の家に預かってもらうことを目的としてこの場所へやってきた。

芳孝自身は超能力部隊の寮住みだが、家はいくつか持っているはずだ。

芳孝は楓の元に来る途中で買ったブラックコーヒーを飲みながら、楓が1人で来ていることに疑問を抱く。


「あの女はどうした?ろくでもない男の元に放ってきたのか」
「……」


何とも取れない沈黙が返ってきたため、芳孝はそのことについて聞くのは止めることにした。


「愚かだな。まだ僕に父親としての役割を期待しているのなら見当違いだ。離婚した女の娘を養う義理はない」
「――期待なんてしてないわ」


予想外にもキッパリとした答えが返ってきたため、面白そうに目を細める芳孝。

そんな彼の前に、楓は端末を使って2枚の写真を浮かび上がらせた。


「大神薫と、大神佳祐。彼らの名前よ。両方Aランクの状態変化能力者。あたしを預かると約束してくれるなら、彼らを紹介するわ」
「ほう?Aランク能力者が2人も揃っているなんて珍しいじゃないか。どこで見つけてきた」
「家の近くのスラム街。あんたが連れてきたって体で上層部に紹介すれば、あんたの好感度も上がるんじゃない?悪くない条件だと思うけど。超能力部隊は能力者が不足しているんでしょう?」


この時代、軍人になりたがる高レベルエスパーは少ない。

しかし彼らならどうだろう。

劣悪な環境で暮らす彼らにとって、確実な給料が手に入る職は、命の保証がなくとも有り難いものであるはずだ。

芳孝という人間が感情ではそう簡単に動かないことを楓はもう知っている。

だから今回は交換条件を用意した。

スラム街にいるあの少年たちを軍に売る行為だということは十分自覚しているし、彼らにとってあのままスラムにいることと軍に入ることのどちらが幸せかなんて分かったものではないが、それでも楓は思うのだ。

あの2人ならきっと笑って許してくれるだろうと。


「君自身が超能力部隊に入ろうとは思わなかったのか?新聞で見た時は驚いたよ。Aランク能力者なのは君もだろう」
「……あたしだって入りたいわ。でも……使えないのよ、超能力。さっきから。あたし、暴走して人を殺してしまったから。無意識のうちに思い出してブレーキがかかるみたいで……。いつ回復するか分からない」
「人を?……あぁ」


納得したようにククッと笑った勘の良い芳孝は、ふむふむと頷き、幼い楓の頭を――初めて、撫でた。


「能力が回復したら超能力部隊に入りなさい。それまでは誰か雇って育てさせてやろう。僕は君のような聡い子が好きだからね」


交渉が成立した瞬間だった。




佳祐が取り返してきたチップを見た時、楓は泣いた。

そしてどうしようもなく佳祐が好きになった。

この人は自分の恩人だと。

もしも佳祐が困っていたら、絶対にあたしが1番に駆け付けて助けよう――そう強く心に誓ったのだった。


それからいくつかの手続きを経て、薫と佳祐は超能力部隊のAランク隊員になった。

日本帝国軍のAランク能力者はたった1人しかいなかったらしく、彼らはとても有り難がられた。

入隊したその日、薫と佳祐、そして楓は初めてAランク寮を訪れた。

軍内部の人間でない楓はここへ入ってくるためだけでも厳重なチェックが必要になるのだが、楓はせめてその日だけでもと彼らと共に過ごすことにした。


そして3人は出会うのである。

――当時日本帝国軍唯一のAランク能力者であった、相模遊という少年に。


「……」
「……」
「……」


居間に入り、ソファに座っていた子供らしくない雰囲気を放つ少年を見て、彼らは思わず無言になる。

薫と佳祐は挨拶慣れしていない。

初めて出会った人間にまずなんと言っていいのか分からないのだ。

楓も、部外者である自分が寮に入ってきていることをどう説明していいか分からず何も言えなかった。


「……なんか、想像してた“寮”と違うな」
「寮というより一般的な家って感じだね……」


代わりに沈黙を破るため、寮を見た感想を呟く。


「Aランクは人数が少ないからな。ようさん部屋作ってもどうせ無駄になるやろ言うて元から作られてない」


遊が自分達とは違うイントネーションで説明をしてきたため、3人は少なからず驚いた。


(方言……!)

(どこの人なんだろう……?)

(“おまんがな”とか言うのかしら)


「おまんがなは言わん」
「……えっ……」


口に出していないはずの疑問を言い当てられた楓は、思わず自身の口を押さえる。

気づかないうちに漏れていたのだろうか。いやそんなはずはない。


「……知らんみたいやから先言うとくけど、俺読心能力者やから。考えとることバレとうなかったら近付かん方がええぞ」


そう言う遊の目は冷たかった。

明らかに、3人を“余所者”として見る目だった。

いや――人間そのものを遠ざけたがっているような、そんな目だった。


「……やな感じ」


ぽつり。考えていることをそのまま言ったのは楓である。

薫は初対面の人間相手に何を言い出すんだと思わず楓の口を塞いだ。

しかし塞ぐべき口は1つだけではなかったようで、今度は隣の佳祐が口を開く。


「え、大丈夫……?ぼくたまに結構グロいこと考えるから、読む時は注意した方がいいよ……脳ミソぐちゃぐちゃにするシーンとかよく想像するなぁ……」


完全にヤバい人である。

薫は恐る恐る遊を見たが、遊は特に気分を害したというわけでもなさそうだった。

ただ珍しいものを見るかのような目で佳祐と楓を見ている。

ほっとして楓から手を離した薫は、「大神薫だ。そっちは俺の兄貴で、大神佳祐。こいつは……」と一旦楓を見て、何と紹介しようか悩む。


「紺野楓よ。あたしはこの部隊に入るわけじゃないけど、この2人の友達だから様子見に来たの」
「友達……ふぅん」


薫に紹介されるより先に自己紹介した楓に対し、遊は少し可笑しそうに笑う。

彼がこの3人のことを気に入り始めたのは、思えば最初からだったのかもしれない。



Aランク寮の彼らは、それからずっと一緒だった。

楓は数ヵ月に1度程しか寮へ行けなかったが、行った時には思う存分彼らと話をした。



彼らは、ずっと、一緒だった。

――――戦争が始まるまでは。



戦争が彼らをバラバラにした。

薫と佳祐は前線へ、遊は日本帝国で尋問をした。

軍事施設のチェックがより厳しくなり、楓は施設の中へは入れなくなった。


楓が次に薫たちのいる軍事施設内に入れたのは敗戦後。


佳祐が裁かれた後だった。





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