早河シリーズ第二幕【金平糖】
12月17日(Wed)午後1時

 コートを羽織って小山真紀は警視庁の建物を出た。桜田通り沿いの街路樹の前で煙草を吸う矢野一輝を見つけた。
矢野は真紀を見ると微笑んで煙草を携帯灰皿に捨てる。

「へぇ。ポイ捨てしないんだ?」
『そりゃあ天下の警視庁の前でポイ捨ては出来ないでしょう』
「あのね、人を使って私を呼び出すのいい加減止めてくれる?」
『俺が直接呼んでも真紀ちゃんは来てくれないだろ』
「当たり前でしょ。今日の呼び出しに使ったのは総務部の子?」
『せいかーい。総務のトモミちゃん。誰かさんが全然相手にしてくれないからこうやって他の子で遊んじゃうんだよ?』

 肩をすくめて歩く真紀は矢野の側で立ち止まる。身長が日本女性の平均身長よりも高い彼女は少しだけ目線を上げて矢野を睨みつけた。

身長が平均よりも高いと言うことは、それだけ男との目線の距離も近付く。この男の側に寄る場合は常に注意を払わないと何をされるかわからない。

「……で? 何の用?」

 わざと矢野の最後の言葉を無視して用件を促す。こんなやりとりはこの二人には珍しくない。いつもの光景だ。
それまでヘラヘラと笑っていた矢野の顔つきが瞬時に変わった。

『新しいカオスの幹部が現れたんだろ。スパイダーって奴』
「スパイダーについて何か知ってるの?」
『スパイダーはネットの世界では有名なんだ。確か10年くらい前かな、スパイダーって通り名の奴がネット荒らしをしてるって噂があってね。スパイダーが企業の機密データを盗んで倒産に追い込んだって話も聞いたことある。2001年に起きた桜井物産の裏金データ流出事件、真紀ちゃん知ってる?』
「桜井物産?」

 真紀は記憶の海に潜る。そんな名前の企業が存在していた記憶は微かにあるが、2001年と言えば真紀は警察官に成り立ての頃で多忙を極めていた。

『俺も当時はそんな事件に興味もなかったからテレビのニュース流し見してるだけだったんだけど、桜井物産の裏金のデータがネット掲示板に貼り付けられたんだ。どうやらハッキングされて盗まれたデータらしい』
「そのハッキングをしてデータを盗み出した犯人がスパイダーってこと?」
『そう言われてる。結局ハッキングの犯人は捕まってない。桜井物産は裏金問題や身内のゴタゴタもあって経営難になり倒産。今はそんな企業があったことすら皆の記憶から消えてるよな。たった7年前のことなのに』

 あったものがなかったことにされる。企業も人も、記憶から忘れ去られるのは一瞬だ。
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