最愛の婚約者の邪魔にしかならないので、過去ごと捨てることにしました
6.
何度も同じ夢を見る。
悪夢はだいぶ前から見なくなった。
今は──穏やかな昼下がり、カフェで待ち合わせをしていて、遅れて彼がやってくるのだ。謝りながらも私の好きな花束を持って「遅れてごめん、ディアンナ」って。
その姿が必死すぎて、でも急いで来ようとしてくれたのが嬉しくて、私の口角は少し吊り上がる。
「いいわよ。──もお仕事忙しいのでしょう?」
「あー、うん。でも暫くは休みができそうだから、旅行にいかないかい?」
ソファに腰掛けて、向かい合わせに座る。彼との時間はとても楽しくて、あっという間に過ぎて行く。カフェでスイーツを堪能した後、手を繋いで少し歩くのも好きだ。
商店街を適当に巡り、彼から耳飾りを贈って貰って、私はハンカチを買って渡す。そういえば彼は刺繍が得意だったっけ。
それから手を繋ぐと指の皮が少し厚くて、タコがあるのも知っている。
背丈は私よりも高くて、顔は──見えているのに、どうしても思い出せない。笑っているとか感情は読み取れるのに。
でも夢の中では違和感がなくて、楽しい時間が続いていく。きっと辛いことや悲しい過去があっても、それを凌駕するほど大事な思い出があったのだと思う。
大切だった時間をなぞるようにデートを重ねて、パーティーに参加する。私は紫のドレスに身を包んで、彼はオレンジ色の薔薇の生花を胸ポケットに差す。紳士的で、気遣いができて、いつも傍にいてくれた。どうして私は過去を捨てようと思ったのだろう。
捨てることでしか自分の心を守れなかったとしたら、何かがあった。それは悪夢でずっと感じていた。
だから知りたいような、知らないままでいたいような。微睡みの中でほんの僅かな幸福を噛みしめる。これが夢でなければ、どんなに素敵かしら。
「──、──」
ああ、どうして。夢の中で彼の名前は呼べるのに、耳に残らないの?
現実の彼はこんな風に優しくなかった?
わからない。
ただ楽しくて、眩い時間が私にもあったのだ。悪夢に埋没してしまった、キラキラであたたかな記憶。
もしかしたら私が怯えて、神経質になって、怖がっていただけで、事実は少し違うのかもしれない。いつか私を訪ねてくれる人がいるなら……。今の私なら?
ううん。やっぱり知るのは──怖い。
***
「ディアンナさん、その、オレと付き合って欲しい」
「ふぁ?」
いつものように中央公園をアルと一緒に歩いていたら、見知らぬ青年に声をかけられた。見知らぬ──ううん、彼はよく行く生チョコタルトのカフェの店員さん。
栗色のくせっ毛、背丈は私よりも少し高いぐらい。愛嬌もあって好青年って感じの印象だ。
「あ、えっと……」
「でぃあんな、おはなし、してみる?」
「アル」
困惑している私に、羊妖精のアルは羽根で浮遊して私の頬に手を当てる。その何気ない仕草がすごくホッとした。
近くに噴水もあるので、私たちの声は周囲には届いていないようだ。みな思い思いに過ごしている。
「アル、ありがとう……」
「ん! でぃあんなのみかた」
ドギマギする気持ちを落ち着かせて、声をかけてくれた店員さんに向き直る。