早河シリーズ第四幕【紫陽花】
 闇雲に歩き回るのは危険だと判断して、覚えてる限りで来た道を引き返す。廊下の角を曲がる時に話し声が聞こえた。

(誰かいる。ラッキー! これでメイクルームまでの道が聞ける)

 期待を膨らませて廊下を曲がったなぎさは唖然とした。角を曲がった先には薄暗い非常階段の入り口があり、男と女が抱き合っている。

(あの……ここ、テレビ局ですけど?)

音を立てないように曲がり角の壁に身を隠す。耳を澄ませると男女の会話が聞こえてきた。

『今日はこれでおしまい』
「えー。もぅ?」
『もうすぐスタジオ入りだから。また今度な』
「やだぁ。まだ離れたくなぁい」

甘えた口調の女の声と、どこかで聞いたことのある男の声。スタジオ入り……と聞こえた気がした。

(早く離れろ! そしてここからいなくなってくれ! さっさと仕事行けっ! あんた達がいつまでもそこでいちゃついてるから私がそこを通れないじゃないのっ!)

 早くメイクルームに行きたい焦りと女の甘えた口調に苛ついて、抱えていた茶菓子の袋を強く握り締めてしまった。カサッと紙袋の音が廊下に響く。しまった……と思った時には遅かった。

『……そこに誰かいるみたいだな。早く行けよ』

 男の声が不機嫌な声色に変化する。そのうち階段を上がる音とこちらに近付く足音が同時に聞こえた。

足音が近付いてくる。硬直した身体をやっとの思いで動かして踵を返そうとしたなぎさの肩に手が置かれた。

『覗き見なんて悪趣味だよね』

 ひやりとした空気を背後に感じた。ここはきちんと大人の対応をするべきだ。これでも自分は探偵の助手である。臨機応変に……。
肩に置かれた手に怯えつつなぎさは振り向いた。

「申し訳ありません。私は本庄玲夏さんの付き人の秋山と申します。玲夏さんのメイクルームに行こうとして迷ってしまって……。ご不快な思いをさせてすみませんでした」

なぎさは相手の目を見て事情を説明し、頭を下げた。

(よし。私は大人! 大人になれ! なぎさ!)

 どちらかと言えば不快な思いをしたのはこちらの方だ。こんな誰に見られるかわからない場所でいちゃつく彼らが悪い。
正直なところ謝罪をするのは不本意だが、ここは大人になろう。
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