早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 早河の携帯に電話をかけるが、コール音が続くだけで電話に出る気配はない。諦めて電話を切ろうとした矢先、コール音が途切れた。

{……はい}

くぐもってかすれた寝起きの声は普段よりも艶っぽく、覗いてはいけない彼の生活を覗き見てしまったような心地にさせる。
早河への恋心を自覚したなぎさには彼の声ひとつにも心臓が騒がしくなる。

「朝からすみません。寝てました……よね?」
{ああ。……今日はこっちの仕事は休みだろ。何かあったのか?}
「はい……。所長にご相談というか、お願いと言うか……」

 用がなくても電話をかけられる関係が恋人なら、用がないと電話をかけられない関係が上司と部下だ。
現状はまだまだ上司と部下の関係が続きそうだと落胆しつつ、なぎさは話を進める。

「さっき友達から連絡があって、所長に依頼をしたい人がいるらしいんです。それが明鏡大学の事件と繋がりがあるようで」
{明鏡大……あの事件か}
「依頼人は私の友達の幼なじみの男性で、名前はキムラさん。キムラさんの彼女が明鏡大学の学生です。それで……」

 麻衣子の話を箇条書きにしたメモの、最後の記述を言葉にすることに一抹の躊躇いが生じる。まさか、また、こんなところで……そんな言葉が浮かんでくる。

{どうした?}
「この明鏡大の事件って警視庁が捜査をしているんですよね?」
{そう聞いてる。上野さんもこの事件にかかりきりのようだ。小山にはこっちの事件を手伝わせちまったけどな}
「多分、上野さんや真紀さんに聞けば詳しいことがわかると思うんですけど、明鏡大の事件にもカオスが関わっているみたいです。キムラさんの恋人……ミツキさんと言うんですが、ミツキさんの自宅にカオスの内情が書かれた手紙が送られてきたんです。差出人の名前は“アゲハ”」

 早河は無言だった。なぎさも次の言葉が浮かばない。
事件が一件落着したかと思えば、また次の事件。それも立て続けにあの犯罪組織の影を感じる事件が頻発している。

{……依頼人の連絡先は聞いたか?}
「はい。依頼人との連絡は所長の判断を仰いでからにしようと思いまして……」
{じゃあ連絡して段取りつけてくれ。今日でも明日でもいい。日取りと時間は依頼人の都合に合わせる}
「わかりました」

 早河への連絡を終えて一息つく。忙しさを言い訳にして散らかった部屋の有り様を見て、せめて家を出るまでに部屋と水回りの掃除だけでもしておこうと心に決めた。

「……もしかしたらこれは休日出勤かも」

独り言を呟いて、彼女は朝食の支度に取りかかった。渋谷での買い物はお預けになりそうな予感がした。
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