ファンは恋をしないのです
「え…?」

 車内に響いた、里依の声。確かに拾い取ったそれは、戸惑いと遠慮に満ちていた。じわりじわりと三澄の胸に広がるのは、里依の言葉の甘さだった。甘いセリフというわけではない。初めて自分の方に伸びてきた言葉が、耳の中をこだまする。

「…いいの、遠回りしても。」
「…三澄さんが、いいなら。あっ!お仕事に支障がないならです!」
「それは大丈夫だよ、全然。じゃあ、遠回りしよっか。うーん…どっち方面に行ったら、里依さんの目が楽しいかな。」
「わ、私はどこでも楽しいです、はい。」
「…そっか。あ、じゃあここからもうちょっと行くと海岸沿いに出るみたいだから…まぁ夜の海は綺麗じゃないかもだけど、海側の景色に期待ってことで。」
「ありがとう…ございます。」

 車はそのまま、速度を変えずに走り出す。景色が少しずつ変わっていく。走っている車の数が減って、遠くに見えていた明かりが近くなる。15分ほど走ると、砂浜が見えた。

「駐車場ある。ちょっと降りる?」
「お、降りていいんですか?」
「うん。人、全然いなさそうだし、その方が里依さん、安心できるでしょ?」
「…はい…。」

 人気のないところに男の人と二人きり、というシチュエーションが安心できるというのはいささか心配だなと思いながらも、それは里依なりの三澄に対する心配でもあることを知っている三澄は、心の中で少しだけ警戒心はもって、と願う。自分に対してはもたないでほしいが、他の男にはもってほしい。そんな勝手なことを思って、一人で苦笑した。
 ドアを開けて車を降りた里依の髪を、強い風が揺らす。思っていたよりも風が冷たくて、里依は腕をさすった。

「あ、ちょっと待って。多分なんか置いておいたはず。あった。」

 里依の肩にかけられたジャケット。三澄の香りがぐっと強くなって、またどくんと心臓がうるさく鳴った。

「えっ、あっ大丈夫です!」
「ちゃんと俺のもあるし、男物で悪いけど、里依さんが嫌じゃなかったら使って。それでさ、せっかくだからもうちょっと向こう、行かない?」
「…はい。」

 三澄の声は不思議だ。何かしないかと提案されると、ふわふわと気持ちが浮き立って、一緒にしたくなってしまう。すっと出された手を、何の躊躇いもなく握ってしまう。
< 58 / 87 >

この作品をシェア

pagetop