早河シリーズ短編集【masquerade】
 誰かに見られているような気味の悪い感覚がして美月は後ろを振り返った。まだ目黒駅前からそう離れてはいない夕暮れの通りには、まばらに人が散っていた。

(……早く帰ろう)

早足で自宅まで歩いてオートロックのセキュリティの内側に駆け込んだ。息を切らして五階の自宅に到着すると、美月は玄関に座り込む。
額に手を当てるとかすかに汗ばんでいた。

 大学時代、在籍していた学部の准教授にストーカーをされた経験がある。当時は尾行や盗撮行為に気付かなかったが、後になってその事実の恐ろしさに身震いした。

もしや……また?

「まさかね……」

 一気に疲れが出て重たくなった身体を引きずって寝室に入る。スーツを脱ぐのも忘れて彼女はベッドに身を伏せた。

「早く帰って来て」

確信のない不安に押し潰されそうで、早く隼人に帰って来てもらって彼の腕の中で安心したかった。こんなに隼人の帰りを心待ちにした夜は結婚して初めてだ。

 美月の帰宅から1時間後に隼人が帰宅した。静まり返る我が家に彼は違和感を覚える。

『ただいまー。美月?』

出迎えてくれる美月の姿が今日はない。キッチンやリビングも電気が消えていて真っ暗だった。
彼女の仕事用の靴は玄関にある。仕事からは帰って来ているようだ。

 暗闇のキッチンとリビングの電気をつけてから、隼人は寝室に向かった。寝室だけに灯る明るい電気の下に、ベッドで寝入る美月がいた。

『なんだ……疲れて寝てるのか……』

美月の存在に安堵したのも束の間、隼人は彼女の寝顔を見て言葉を失う。眠る美月の目元には涙が滲んでいた。

        *


 ──嫌だ。行かないで。置いて行かないで。
 ずっと側にいてよ。
 どうしてあなたは私を置いて行ったの?

 会いたいよ、会いたいよ……佐藤さん……

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