早河シリーズ短編集【masquerade】
 午後5時前、JSホールディングス経営戦略部のフロアに受付から隼人宛の内線がかかってきた。

{エクリチュールジャパンの三輪様が受付にいらしています}

受付嬢の華やかな声色で伝えられた名前に隼人は戦慄する。三輪七海と約束をした覚えはない。
受付嬢にはすぐに行くと告げて受話器を置く。デスクにいる田崎次長と目が合った。

『次長。受付にエクリチュールジャパンからの来客が来ているので少し抜けます』
『わかった。行ってこい』

 隼人はやりかけの仕事を残して経営戦略部のフロアを出た。隼人を送り出した田崎はスマホのアドレス帳欄からハ行の欄を開く。

『助太刀がいるかどうかは木村の出来次第だな』


        *

 JSホールディングス一階エントランスで隼人を待つ三輪七海の姿はやけに目立つ。形はオフィスカジュアルなファッションでも、堂々と突き出した胸元と真っ赤なスカートは雄を惹き付ける雌の姿だ。

 派手な装いの七海に冷ややかな視線を向けていた二人の受付嬢は、エレベーターを降りてきた隼人を目にして一気に表情を和らげた。
結婚してしまっても木村隼人はいつまでも女子社員の憧れの的なのだ。

『三輪さん。あなたと本日お約束した覚えはありませんが。何のご用でしょう?』
「酷い言い方ね。なかなか連絡くれないから私の方から会いに来てあげたのに」
『ビジネス以外でのお付き合いはお断りすると何度も言ったはずです』

 広々としたJSホールディングスのエントランスには受付嬢の他にも社員や取引先の人間も多数行き交う。その者達に会話の内容すべてを聞かれることはないが、エントランスに集うほぼ全員が、自分と七海の会話に聞き耳を立てていることは隼人には予想がついた。

ここで社員や取引先にあらぬ憶測や誤解を招く事態となれば隼人には致命的だ。七海への言動ひとつひとつに、慎重な対応が求められる。

「別に私、あなたの恋人になりたいって言ってるんじゃないの。残念だけどあなたは結婚しているしね。愛人ってくくりで縛られるのも嫌」

 愛人にする気もないと喉元まで出かかった言葉をぐっと堪える。

そもそも今の時間は七海が勤めるエクリチュールジャパンも業務時間内だろう。業務中に男の勤務先に押し掛けて交際を迫り、駄々をこねるとは社会人としていかがなものか。

「でも人のモノになると益々欲しくなるのよね。たまに会ってくれるだけでいいの。あなたもいつも奥さんが相手じゃマンネリで飽きない? 私ならあなたを満足させられる。昔も私の身体で気持ちよく出していたじゃない」

 七海は隼人の左腕にすり寄って、突き出した胸を擦り付けた。彼女はまた隼人の結婚指輪に触れている。その行動に虫酸が走った。
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