早河シリーズ短編集【masquerade】
 張り詰めた緊張感の中で隼人は池田を見下ろした。

『立て』
『なっ……なんだよ! 偉そうに指図するな! だいたいお前が悪いんだ。お前が俺の美月を奪ったから……』
『ごちゃごちゃとうるせぇなぁ。立てねぇなら俺が立たせてやるよ』

 池田の抵抗も隼人の威圧感の前ではないに等しい。隼人は池田の胸ぐらを掴んで乱暴に立ち上がらせ、隼人の拳が池田の顔に命中した。

殴られた池田は床に尻餅をついて、手錠の嵌まる両手で鼻から吹き出す血を押さえている。

『俺の美月を奪った? ふざけるな。美月を所有物としてしか見ていないお前のねじ曲がった愛情は、ただのエゴイズムだ。そんな身勝手な愛情を向けても美月が惚れるわけねぇだろ? 馬鹿か』

隼人の怒りの迫力に恐れをなした池田は尻餅をついた状態で壁際まで後退した。殺気立つ隼人がじりじりと池田を追い詰める。

 冷静で感情を表に出さない隼人が感情を剥き出しにして怒りを露にしている。本当はあんなに怒り狂う隼人を見ていたくない。

でも美月は目をそらしてはいけない。
美月のためだから。彼女はこの目で、すべてを見届けなければいけない。

『お前は美月の何を知ってる? これまで美月が何に泣いて、傷付いて、苦しんで、何を乗り越えたか、知ってるのか? なんにも知らねぇし、知ろうともしない。お前がやってることは美月に自分の理想を押し付けてるだけだ』

 怯える池田の顔に向けて隼人の足が振り下ろされる。蹴られる恐怖におののいた池田は、とっさに両手で頭を覆った。
靴を履いたままの隼人の右足が池田の顔の真横の壁に物凄い音を立ててぶつかった。

『今後、美月に手を出したら容赦しねぇからな。こんなもんじゃ済まねぇぞ。覚悟しとけ』
『……は、はい……すみません……でした』

震える涙声で池田は何度も頭を下げた。涙と鼻血にまみれた池田の情けない姿からは、会社にいる時の自信に満ち溢れたオーラは微塵もない。

『木村くん。もうそのくらいでいいだろう』

 上野が隼人の肩に手を置いた。それが合図となって、二人の警官が両脇から池田を支えて連行していった。

『まったく。君も無茶苦茶やるなぁ。ヒヤッとしたよ』
『すみません。これって俺も傷害罪になったりしますか?』

 池田を殴った右手が痺れている。彼は痛む右手を左手でさすった。
人を殴ればこちらも痛いのは当然のこと。たとえ自分の身体を痛めつけてでも、こうしなければ隼人の気持ちが治まらなかった。

上野は苦笑してかぶりを振り、隼人の肩を二回叩いた。

『池田の怪我は逮捕の時に抵抗した怪我と言うことにする。君の行動も多少行き過ぎだが、俺からの厳重注意のみでお咎めなしだ。美月ちゃんと一緒に帰りなさい』

 婦警と千鶴に支えられた美月が隼人に歩み寄る。隼人も美月を見ている。

真っ直ぐに互いの視線が絡み合った。
磁石と磁石が引き合うように、引き寄せられた二人は抱き締め合って存在を確かめ合う。

二度と離さないから。お願いだから、どこにも行かないで……と。

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