早河シリーズ短編集【masquerade】
夜の恵比寿はとても寒かった。ビルとビルの間を吹き荒ぶ風が渡辺と女の髪を乱す。
(なんで俺が酔っぱらい女をおぶって、このクソ寒い中を歩かないとならねぇんだ)
名前も知らない女子学生は渡辺の背中におぶさって彼の首筋に頬擦りしていた。
「わたなべしぇんしぇい、いいにおいー」
『はいはい、いい匂いね、よかったねー』
返す言葉も面倒で棒読みだ。厄介な酔っぱらいをおぶって歩き続けて、恵比寿一丁目の交差点に出た。
目の前は都道416号線だ。早くタクシーを捕まえてこの女から解放されたかった。
「わたなべしぇんしぇいは理系の女は疲れる?」
『は?』
それまでハイテンションだった女の声色が急に暗くなる。
「理系は理屈っぽいって、疲れるってさ。ナンダソレェってなるよね」
『誰に言われた?』
「元カレ。ううん。正確にはぁ、元カレの浮気相手の馬鹿女。ああ、もう嫌になる。理系の何が悪いんじゃぁー! てめぇなんかヤることしか頭にない猿だろバァーカッ!」
女はジタバタと手足を動かして叫んだ。
頼むから背中で暴れないで欲しい。耳元で叫ばないで欲しい。道端で放送禁止用語を連発しないで欲しい。
「だいたい、わたなべしぇんしぇいもなんなのさぁ。女の子に囲まれてヘラヘラしちゃってさぁ! ワタシ、この目でばっちり見てたんだからねぇ」
この女子学生を今すぐ背中から降ろして道端に放っておきたくなるが、それは渡辺の良心が咎めた。
(俺がいつ女にヘラヘラした? つーか、俺関係ないし元カレの愚痴から飛躍して何故に俺が非難される? わけわかんねぇ)
「男はみーんなそう。かわいくてぇ、ふわふわしててぇ、ええ? 私そんな話わかんなーいって可愛い子ぶってる女の方がいいんだ。この野郎ぉー」
道行く人々が渡辺と背中におぶさる女を振り返って眺めていく。彼女の言葉の数々にはあからさまな下ネタ用語も混ざっていて、歩いていて大変気まずい。
渡辺も彼女が元カレに浮気された経緯を把握するまでになっていた。
(夏にヤらせただけでそれっきりは、さすがに男側も浮気したくなるだろうよ……)
ようやくタクシーを捕まえてまず彼女を先に乗せた。隣に渡辺も座る。タクシーが発車する前に、眠りそうになっている女を揺り動かした。
『家どこ? 住所言える?』
「んーと……おうちはねぇ、ジャガイモ帝国ぅー! ジャガイモころころ、ゴーロゴロぉ、まるっと煮っころがし美味しいぞぉおお♪」
……予想通りの展開だった。彼女の荷物を探れば免許証や学生証で住所を知る手段はあったが、渡辺は半ば諦め半ばやけくそで、自分の自宅の住所を運転手に告げた。
タクシーが渡辺の自宅に向けて走り出す。女は渡辺の肩に寄りかかって目を閉じていた。
ダイニングバーでは顔をよく見る暇もなく、初めてじっくりと女の顔を見る。
(寝顔だけは可愛いな。寝顔だけは。酒癖は悪いし、なんだっけ、経験人数二人……って言ってたか)
タクシーに乗るまでの間に、都会のど真ん中でとことん恥ずかしい情報を晒してくれたものだ。大学生で経験人数二人は比較的ガードが堅い方だろう。
やがてタクシーが渡辺の自宅マンションの前で停車する。再び女をおぶってマンションに入った。
自宅としている三階の部屋に着いて、すっかり寝入る彼女をベッドに寝かせる。
彼女が目覚めた時に、事の経緯を誤解なく説明しなければいけない。非常に憂鬱だ。
冷えないように毛布を肩までかけてやった時、赤い唇が動いた。
「ダイキ……」
彼女は寝言で男の名前を呟いていた。
(なんで俺が酔っぱらい女をおぶって、このクソ寒い中を歩かないとならねぇんだ)
名前も知らない女子学生は渡辺の背中におぶさって彼の首筋に頬擦りしていた。
「わたなべしぇんしぇい、いいにおいー」
『はいはい、いい匂いね、よかったねー』
返す言葉も面倒で棒読みだ。厄介な酔っぱらいをおぶって歩き続けて、恵比寿一丁目の交差点に出た。
目の前は都道416号線だ。早くタクシーを捕まえてこの女から解放されたかった。
「わたなべしぇんしぇいは理系の女は疲れる?」
『は?』
それまでハイテンションだった女の声色が急に暗くなる。
「理系は理屈っぽいって、疲れるってさ。ナンダソレェってなるよね」
『誰に言われた?』
「元カレ。ううん。正確にはぁ、元カレの浮気相手の馬鹿女。ああ、もう嫌になる。理系の何が悪いんじゃぁー! てめぇなんかヤることしか頭にない猿だろバァーカッ!」
女はジタバタと手足を動かして叫んだ。
頼むから背中で暴れないで欲しい。耳元で叫ばないで欲しい。道端で放送禁止用語を連発しないで欲しい。
「だいたい、わたなべしぇんしぇいもなんなのさぁ。女の子に囲まれてヘラヘラしちゃってさぁ! ワタシ、この目でばっちり見てたんだからねぇ」
この女子学生を今すぐ背中から降ろして道端に放っておきたくなるが、それは渡辺の良心が咎めた。
(俺がいつ女にヘラヘラした? つーか、俺関係ないし元カレの愚痴から飛躍して何故に俺が非難される? わけわかんねぇ)
「男はみーんなそう。かわいくてぇ、ふわふわしててぇ、ええ? 私そんな話わかんなーいって可愛い子ぶってる女の方がいいんだ。この野郎ぉー」
道行く人々が渡辺と背中におぶさる女を振り返って眺めていく。彼女の言葉の数々にはあからさまな下ネタ用語も混ざっていて、歩いていて大変気まずい。
渡辺も彼女が元カレに浮気された経緯を把握するまでになっていた。
(夏にヤらせただけでそれっきりは、さすがに男側も浮気したくなるだろうよ……)
ようやくタクシーを捕まえてまず彼女を先に乗せた。隣に渡辺も座る。タクシーが発車する前に、眠りそうになっている女を揺り動かした。
『家どこ? 住所言える?』
「んーと……おうちはねぇ、ジャガイモ帝国ぅー! ジャガイモころころ、ゴーロゴロぉ、まるっと煮っころがし美味しいぞぉおお♪」
……予想通りの展開だった。彼女の荷物を探れば免許証や学生証で住所を知る手段はあったが、渡辺は半ば諦め半ばやけくそで、自分の自宅の住所を運転手に告げた。
タクシーが渡辺の自宅に向けて走り出す。女は渡辺の肩に寄りかかって目を閉じていた。
ダイニングバーでは顔をよく見る暇もなく、初めてじっくりと女の顔を見る。
(寝顔だけは可愛いな。寝顔だけは。酒癖は悪いし、なんだっけ、経験人数二人……って言ってたか)
タクシーに乗るまでの間に、都会のど真ん中でとことん恥ずかしい情報を晒してくれたものだ。大学生で経験人数二人は比較的ガードが堅い方だろう。
やがてタクシーが渡辺の自宅マンションの前で停車する。再び女をおぶってマンションに入った。
自宅としている三階の部屋に着いて、すっかり寝入る彼女をベッドに寝かせる。
彼女が目覚めた時に、事の経緯を誤解なく説明しなければいけない。非常に憂鬱だ。
冷えないように毛布を肩までかけてやった時、赤い唇が動いた。
「ダイキ……」
彼女は寝言で男の名前を呟いていた。