早河シリーズ短編集【masquerade】
 温かくて広い背中、頬擦りした首筋に香る男物の香水の匂い……
この人は誰? ダイキ? ……違う、ダイキの背中じゃない。じゃあ誰なの?
彼女は優しいぬくもりの夢を見ていた──。

 泉は薄く目を開ける。まだはっきりしない意識の片隅で頭痛の予兆を感じた。

(頭痛い……)

寝返りを打ち、枕に顔を伏せる。ふかふかの布団が気持ちよくてまた眠りの世界に戻ってしまいそうだ。

(私のベッドってこんなにふかふかだっけ? それにこんないい匂いしてた?)

重たい瞼を持ち上げて無理やり目を見開いた。カーテンが半分開いた窓からは朝の光が差し込んでいる。

「ここ……どこ?」

 そこは泉の見覚えのない部屋だった。知らない部屋の誰の物かわからないベッド、部屋の雰囲気から察すると男の部屋だ。

意識が覚醒するにつれて彼女は愕然とする。まず自分の身なりを確認した。
衣服は身につけている。メイクを落とさずに眠ってしまったらしく、目の周りに触れるとマスカラの繊維がポロポロとれた。

 次は何がどうしてこうなっているのか、昨夜の出来事を順に思い出す。忘年会でかなりの量の飲酒をしたことは覚えている。
その後、気持ちが悪くなってトイレで嘔吐したのも記憶にある。それからの記憶があやふやだった。

 暖房の入っていない部屋は肌寒い。ベッドを降りた時に、タイツを通して床の冷たさが伝わった。
ベッドのすぐ側のソファーで人が寝ていた。毛布に埋もれているその人物の寝顔を恐る恐る覗き込む。

「この人……えっと……」

どこかで見た顔だ。それもつい最近目にしたばかりの男。
目を閉じた時の二重瞼のラインが綺麗だった。スッと高い鼻梁や形のいい唇、こんな美形を目にしたら、なかなか忘れられないものだ。

「あっ! ……渡辺先生だ」

 泉が彼の名を呼ぶと、寝ていた渡辺亮が低く唸って目を開けた。

「先生……。おはよう……ございます」
『……あー……うん』

渡辺は寝ぼけ眼の目を擦って身体を起こす。乱れた髪の毛を乱暴に撫で付けてから、テーブルのリモコンに手を伸ばして暖房のスイッチを入れた。

『……君、名前は?』
「建築科修士2年の小野田泉です」
『修士の方か』

 二人は短い言葉を重ねる。あくびをして肩の凝りをほぐす仕草を見せる渡辺に、泉は尋ねたいことが山ほどあった。

「ここは先生のご自宅……?」
『泥酔して自力で帰れなくなった君を俺の家に連れて帰った。君はベッドで熟睡、俺は一晩ソファーで寝るはめになった。これが今の状況。理解した?』
「……はい。ご迷惑おかけしました」

若干面倒くさそうに話す渡辺の説明を聞いた泉は、羞恥心で赤面した。24歳にもなってみっともない醜態を、しかも昨日初めて会った人に晒してしまった。
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