早河シリーズ短編集【masquerade】
酒が入った時にこそ人の本性が現れると聞いたことがあるが、泉の場合は酔うと気にしていることや本音を口に出してしまうようだ。
『他に聞きたいことは?』
「え……えーっと……ここまで運んでいただいた先生に、こんな質問をするのは失礼だとは思うのですが……私達、その、何もありませんよね……?」
『何かあったように思う?』
「いえ、服は着ていましたし……でも一応確認のために……」
泉は落ち着きなくニットの襟ぐりやスカートの裾に触れている。昨夜の口が悪い彼女とは真逆のしおらしい様子が可笑しくて、渡辺は笑いを堪えられずに吹き出した。
『脱がせるならともかく、俺は事後に女に服を着せてやるほど優しくない。小野田さんが服を着ていることが何もなかった証拠』
「ですよねっ? ……良かった……。いえ、その、経験人数二人しかいない私のような女では先生をご満足させられないと思いますし……申し訳なくて」
これまでずっと無表情で冷たい印象を放っていた渡辺が初めて見せた笑顔に不覚にも泉の心臓が跳ねた。
(いけない。何をときめいているんだ私は。男はこりごりなんだからっ)
顔がタイプの男の笑顔は心臓に悪い。
『でも服を着ているから何もなかったと結論付けるのは安易だな。キスくらいはしたかも』
「私達……キスしちゃったんですか……?」
渡辺の爆弾発言にまた心臓が大きく跳ねた。仰天の意味ともうひとつ別の意味でドキドキが止まらない。
『したかもしれないし、しなかったかもしれない』
意味深な言葉を曖昧にはぐらかして渡辺は煙草を咥えている。
煙草なら元カレのダイキも吸っていたけれど、ダイキが煙草を吸っていても高校生が背伸びをして吸っているようにしか見えなかった。
しかし朝の光に包まれてコーヒーと煙草を味わう渡辺はダイキにはない大人の色気を感じた。
キスは恋人とするものだと信じている泉にとっては、恋人でもないのに泉にキスをしたかもしれないと発言する渡辺の真意がわからなかった。
(何よ。涼しい顔しちゃって。私ひとりが狼狽えてバカみたい)
意地悪な態度をとられてだんだん腹が立ってくる。万が一にでも渡辺とキスをしていたとしても、泉にはその記憶がないのだから何もしていないも同然と言い聞かせた。
「もういいです。ご迷惑おかけしました。コーヒーご馳走さまです」
コートを羽織って玄関に向かう。渡辺はソファーに座ったままだ。
『駅の方向わかる?』
「スマホの位置情報見ながら帰るので大丈夫です。お邪魔しました」
煙草を吸う渡辺の横顔に見惚れていた事実を隠して、泉は渡辺の家を辞した。初めて訪れるマンションの初めて歩く通路を大股に歩いて階段を下って外に出た。
「あー……! 最悪。ほんっとに最悪……」
12月の冷えた朝。スマホのバッテリー残量は30%。
現在の位置情報は文京区になっている。有楽町線の江戸川橋《えどがわばし》駅の近くだ。
「キス……したのかな」
唇に触れる。昨夜からリップを塗り直していない唇に口紅の痕跡は微塵もなかった。
(やっぱり渡辺先生だって、女なら誰でもいいんだろうね。男はそこに女の口があればコーヒー飲む感覚でチュッチュするもんなんだよ)
朝日を浴びて煙草をふかす渡辺の横顔の残像を掻き消して、泉は江戸川橋駅の方向に歩いた。
泉が去った後、渡辺は彼女が一晩寝ていたベッドに寝転んだ。ベッドに残る女の匂いにむず痒い気持ちになる。
シャンプーや香水の人工的な匂いではない、天然の女の匂いがした。
『騒がしい女だったな……』
泉が残した女の匂いは情事の後にベッドから去る女の匂いと似ていた。まどろむ渡辺に女の匂いが絡み付いて、彼を離さなかった。
『他に聞きたいことは?』
「え……えーっと……ここまで運んでいただいた先生に、こんな質問をするのは失礼だとは思うのですが……私達、その、何もありませんよね……?」
『何かあったように思う?』
「いえ、服は着ていましたし……でも一応確認のために……」
泉は落ち着きなくニットの襟ぐりやスカートの裾に触れている。昨夜の口が悪い彼女とは真逆のしおらしい様子が可笑しくて、渡辺は笑いを堪えられずに吹き出した。
『脱がせるならともかく、俺は事後に女に服を着せてやるほど優しくない。小野田さんが服を着ていることが何もなかった証拠』
「ですよねっ? ……良かった……。いえ、その、経験人数二人しかいない私のような女では先生をご満足させられないと思いますし……申し訳なくて」
これまでずっと無表情で冷たい印象を放っていた渡辺が初めて見せた笑顔に不覚にも泉の心臓が跳ねた。
(いけない。何をときめいているんだ私は。男はこりごりなんだからっ)
顔がタイプの男の笑顔は心臓に悪い。
『でも服を着ているから何もなかったと結論付けるのは安易だな。キスくらいはしたかも』
「私達……キスしちゃったんですか……?」
渡辺の爆弾発言にまた心臓が大きく跳ねた。仰天の意味ともうひとつ別の意味でドキドキが止まらない。
『したかもしれないし、しなかったかもしれない』
意味深な言葉を曖昧にはぐらかして渡辺は煙草を咥えている。
煙草なら元カレのダイキも吸っていたけれど、ダイキが煙草を吸っていても高校生が背伸びをして吸っているようにしか見えなかった。
しかし朝の光に包まれてコーヒーと煙草を味わう渡辺はダイキにはない大人の色気を感じた。
キスは恋人とするものだと信じている泉にとっては、恋人でもないのに泉にキスをしたかもしれないと発言する渡辺の真意がわからなかった。
(何よ。涼しい顔しちゃって。私ひとりが狼狽えてバカみたい)
意地悪な態度をとられてだんだん腹が立ってくる。万が一にでも渡辺とキスをしていたとしても、泉にはその記憶がないのだから何もしていないも同然と言い聞かせた。
「もういいです。ご迷惑おかけしました。コーヒーご馳走さまです」
コートを羽織って玄関に向かう。渡辺はソファーに座ったままだ。
『駅の方向わかる?』
「スマホの位置情報見ながら帰るので大丈夫です。お邪魔しました」
煙草を吸う渡辺の横顔に見惚れていた事実を隠して、泉は渡辺の家を辞した。初めて訪れるマンションの初めて歩く通路を大股に歩いて階段を下って外に出た。
「あー……! 最悪。ほんっとに最悪……」
12月の冷えた朝。スマホのバッテリー残量は30%。
現在の位置情報は文京区になっている。有楽町線の江戸川橋《えどがわばし》駅の近くだ。
「キス……したのかな」
唇に触れる。昨夜からリップを塗り直していない唇に口紅の痕跡は微塵もなかった。
(やっぱり渡辺先生だって、女なら誰でもいいんだろうね。男はそこに女の口があればコーヒー飲む感覚でチュッチュするもんなんだよ)
朝日を浴びて煙草をふかす渡辺の横顔の残像を掻き消して、泉は江戸川橋駅の方向に歩いた。
泉が去った後、渡辺は彼女が一晩寝ていたベッドに寝転んだ。ベッドに残る女の匂いにむず痒い気持ちになる。
シャンプーや香水の人工的な匂いではない、天然の女の匂いがした。
『騒がしい女だったな……』
泉が残した女の匂いは情事の後にベッドから去る女の匂いと似ていた。まどろむ渡辺に女の匂いが絡み付いて、彼を離さなかった。