早河シリーズ短編集【masquerade】
矢野の16歳の誕生日の9月7日も過ぎた9月13日土曜日の夜。夕食後、矢野は伯父の武田に部屋に来るようにと呼び出された。
矢野が武田の部屋に入ると彼はカフスボタンを留めてネクタイの色を選び、グレーに染めた髪に丁寧に櫛《クシ》を入れていた。
『伯父さん何か用?』
『今から出掛ける。お前も支度をしなさい』
『出掛けるってこんな時間にどこに?』
『行き先は着けばわかる。誕生日に買ってやったジャケットあるだろう? あれを着ていけばいい』
多くを語らない武田に疑問は残るが、言われた通りに武田に新調してもらったメンズブランドのジャケットに袖を通した。矢野が持っている服の中でこのジャケットが最も高価な物だ。
階下に降りる時に階段で風呂上がりの梨乃とすれ違った。梨乃は洒落た服装の矢野を見上げる。
「出掛けるの?」
『伯父さんが一緒に来いって言うから。どこに行くかわかんねぇんだけど』
「ふーん。……なるほどねぇ。お父さんも何考えてるんだか。まぁ気を付けなさい」
彼女には行き先の心当たりがあるらしく、不機嫌な表情で矢野の横を通り過ぎた。
『なんだよあれ。気を付けなさいって何に?』
梨乃の言葉の意味も不機嫌の理由も見当がつかない。玄関まで見送りに出た武田の妻は梨乃とは違って、平然と帰宅時間を夫に尋ねている。
家の前で待機している車は外国製だった。車内の広いシートは向かい合わせになっていて武田が上座に乗る。矢野は武田の斜め前に座った。
『出掛けるって言ったら梨乃の機嫌が悪くなったんだけどなんで?』
『ははっ。気にするな。あいつは可愛い弟分のお前が自分から離れていくのが嫌なだけだ』
武田は意気揚々として愉しそうだ。振動の少ない車はしばらく走ると路肩に停車した。
『降りるの?』
『ここではまだ降りない。乗る人間を待っている。一輝、端に寄って席を空けなさい』
『まだ誰か来るのかよ』
矢野がシートを移動した直後に扉が開いて矢野の隣に男が座った。
『えっ……早河さん?』
車に乗り込んできた男は早河だった。早河は武田と矢野を一瞥して無言でシートベルトを締める。
普段はラフな服装が多い早河も今夜はレザーのジャケットを着ていた。彼からはかすかに香水の香りもする。早河が香水をつけていることが意外だった。
『こら仁。挨拶のひとつもしないか』
『……こんばんはー』
棒読みで武田に挨拶した早河は座席に深くもたれて目を閉じた。眠っているようではなさそうだが、こちらと話をする気分でもないらしい。
『どうして早河さんまで?』
『たまには男三人で出掛けるのもいいだろう? 一輝も仁も、勉強ばかりしとらずに若いうちは夜遊びくらいしないとなぁ』
仮にも議員が未成年に夜遊びを助長する発言をしていいものかと矢野は呆れ返る。もともと、初めて会った時から常識破りで破天荒な印象のある伯父ではあったが。
(でも俺を引き取って面倒見てくれてるし、母さんにとってはいい兄貴だったみたいだから伯父さんっていい人なんだよな)
矢野が武田の部屋に入ると彼はカフスボタンを留めてネクタイの色を選び、グレーに染めた髪に丁寧に櫛《クシ》を入れていた。
『伯父さん何か用?』
『今から出掛ける。お前も支度をしなさい』
『出掛けるってこんな時間にどこに?』
『行き先は着けばわかる。誕生日に買ってやったジャケットあるだろう? あれを着ていけばいい』
多くを語らない武田に疑問は残るが、言われた通りに武田に新調してもらったメンズブランドのジャケットに袖を通した。矢野が持っている服の中でこのジャケットが最も高価な物だ。
階下に降りる時に階段で風呂上がりの梨乃とすれ違った。梨乃は洒落た服装の矢野を見上げる。
「出掛けるの?」
『伯父さんが一緒に来いって言うから。どこに行くかわかんねぇんだけど』
「ふーん。……なるほどねぇ。お父さんも何考えてるんだか。まぁ気を付けなさい」
彼女には行き先の心当たりがあるらしく、不機嫌な表情で矢野の横を通り過ぎた。
『なんだよあれ。気を付けなさいって何に?』
梨乃の言葉の意味も不機嫌の理由も見当がつかない。玄関まで見送りに出た武田の妻は梨乃とは違って、平然と帰宅時間を夫に尋ねている。
家の前で待機している車は外国製だった。車内の広いシートは向かい合わせになっていて武田が上座に乗る。矢野は武田の斜め前に座った。
『出掛けるって言ったら梨乃の機嫌が悪くなったんだけどなんで?』
『ははっ。気にするな。あいつは可愛い弟分のお前が自分から離れていくのが嫌なだけだ』
武田は意気揚々として愉しそうだ。振動の少ない車はしばらく走ると路肩に停車した。
『降りるの?』
『ここではまだ降りない。乗る人間を待っている。一輝、端に寄って席を空けなさい』
『まだ誰か来るのかよ』
矢野がシートを移動した直後に扉が開いて矢野の隣に男が座った。
『えっ……早河さん?』
車に乗り込んできた男は早河だった。早河は武田と矢野を一瞥して無言でシートベルトを締める。
普段はラフな服装が多い早河も今夜はレザーのジャケットを着ていた。彼からはかすかに香水の香りもする。早河が香水をつけていることが意外だった。
『こら仁。挨拶のひとつもしないか』
『……こんばんはー』
棒読みで武田に挨拶した早河は座席に深くもたれて目を閉じた。眠っているようではなさそうだが、こちらと話をする気分でもないらしい。
『どうして早河さんまで?』
『たまには男三人で出掛けるのもいいだろう? 一輝も仁も、勉強ばかりしとらずに若いうちは夜遊びくらいしないとなぁ』
仮にも議員が未成年に夜遊びを助長する発言をしていいものかと矢野は呆れ返る。もともと、初めて会った時から常識破りで破天荒な印象のある伯父ではあったが。
(でも俺を引き取って面倒見てくれてるし、母さんにとってはいい兄貴だったみたいだから伯父さんっていい人なんだよな)