早河シリーズ短編集【masquerade】
「ご来店ありがとうございます。ママのサユリでございます」

 よく通るが耳障りではない柔らかなトーンの声。結われた黒髪と唇にひかれた紅が彼女の小さくて白い顔を引き立てていた。

『一輝、ご挨拶なさい』
『えっ……あの、矢野一輝……です』

名前を名乗って座ったまま会釈すると、サユリはふふっと品のいい笑い声を漏らした。

「はじめまして。サユリです。宜しくね」

 サユリは武田と矢野の間に座った。矢野と間隔を空けて座る早河はサユリが来ても素知らぬ顔で見向きもしない。

「歳はいくつ?」
『16です』
「そう。まだ高校生ね。可愛いわね」

 年上の女、ましてや銀座のホステスのサユリとどう接すればいいかわからない矢野は頬を赤くしてうつむいた。

『サユリ。一輝が気に入ったか?』
「ええ。あなたの甥っ子だなんて信じられないくらいに将来はいい男になりそうね」

武田とサユリには親密な空気があると感じた。彼らの間にある空気感の正体は掴めそうで掴めない、難しい大人の世界だ。

「未成年のお二人はお好きなドリンクを選んでね。お酒はハタチになってから、ね」

 サユリは慣れた手つきでグラスに氷を入れて酒を注ぐ。武田の分の水割りだ。

矢野はメニュー表を早河の方へ傾けた。梨乃の一件があり、早河への態度がどうにもよそよそしくなってしまう。

『早河さん何にします?』
『アイスコーヒー』

早河はメニュー表を見ずに答えた。この店にアイスコーヒーの用意があることを、初めから知っているみたいな口振りだ。

「仁《じん》はいつものアイスコーヒーね。一輝くんは何にする?」
『あ……じゃあコーラで……』

 早河の注文をサユリはしっかり聞いていた。
矢野はまたしてもサユリに不思議な違和感を感じてその正体を探す。違和感の正体はすぐに見つかった。彼女が早河のことを、“仁”と呼んでいたからだ。

『サユリさんと早河さんは知り合いなんですか? 早河さんを名前で呼んだり、“いつもの”アイスコーヒーって……』

矢野に問われたサユリは切れ長の目を細めて妖艶に微笑む。

「一輝くんは今は何でも興味のある年頃よね。反応が素直で本当に可愛い」
『はぁ……』

 質問は曖昧にはぐらかされた。サユリから香る芳しい和風の香りが色っぽくて、酒を飲んでいなくても酔ってしまいそうだ。

『これぐらいで赤くなりおって。一輝も女に免疫をつけないとなぁ』

武田は矢野とサユリのやりとりを眺めて笑っている。早河は無関心を決め込んで無言だ。
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