早河シリーズ短編集【masquerade】
 武田の甥の肩書きがなければ彼女達に相手にもされないだろう。

『タケさんがいる政財界には人の足を引っ張って蹴落とそうと画策する人間で溢れてる。まぁどこの世界にもそんな人間はいるがな。お前が政財界の人間と接触していけば、周りが味方ばかりじゃない時もある。敵の方が多い場合もあるかもな』

 感情が表に出やすいことが諸刃の剣と指摘された意味がようやくわかった。

『味方ばかりじゃないから今のままの俺だと危ないってことですよね?』
『そう。お前って頭の回転は速いよな』

初めて早河に褒められて無性に照れ臭い。

『素直な人間は利用されやすい。顔を見れば感情が手に取るようにわかってしまう人間を意のままに動かそうとする連中もいる。気を付けろ』
『はい。……でもどうすればいいんですか? 俺は16年これで生きてきたし今更……』

矢野は組み合わせた両手を落ち着きなく擦り合わせた。早河は腕時計で時間を確認する。
車が路肩に寄って停車した。

『色んな顔を持て』
『顔?』
『矢野一輝としてだけでなく、武田健造の甥としての顔、その時の状況に応じた顔を持てばいい』

 運転手が開けた扉から早河は足を外に出した。彼の身体はまだ車内にある。

『矢野一輝の良さを保ったままのピエロになれ。すべては生き抜くためのパフォーマンスだ。沢山の顔を使い分けていけ』

早河が車を降りて運転手が扉を閉める。運転手が渡した傘を差した早河の姿が雨の降る深夜の街に溶け込んでいった。

『早河さんって何者? あれで本当に19歳?』
『色々と複雑なものを抱えていらっしゃる方ですからね』

 どこからともなく聞こえた返答は車内に乗り込んできた運転手の声だった。驚いた矢野は運転席に座る無骨な顔の男に目を向ける。
運転手を務めているのは武田の秘書の村瀬だ。

路肩に停まっていた車が動き出した。

『村瀬さんは早河さんのこと知ってるの? 早河さんの過去とか……』
『それなりのことは。あの方が警察の道を選んだことも宿命的な縁なのかもしれませんね』
『宿命的?』
『いずれはご本人も一輝様もお知りになることでしょう。これ以上のお話は健造様にタブーとされていますので、どうかご勘弁ください』

村瀬はそれ以上の言葉を続けることなく、固く口を閉ざした。

 武田がタブーとする話とは何か。そしてそれは早河の過去に関係している。

この時の矢野も早河でさえも、早河が警察の道を選んだことが、“あの男”との宿命の再会のプロローグだったとは、まだ知るよしもなかった。

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