早河シリーズ短編集【masquerade】
『クソッ……。こんなことなら顔まで見ておけばよかった』

 矢野は苦々しく吐き出して交番の掛け時計を見た。もう22時になる。

事情を説明しても尚、疑いの眼差しを向ける警官に見張られてここに座っていても居心地が悪い。二人の警官の中では矢野達が犯人である疑惑は完全に晴れたわけではなさそうだ。

 交番の電話が鳴り、先輩警官が電話に出た。

『はい。……はい。……えっ、はい。わかりました。は、はい』

最後は受話器に向けて敬礼までしている警官を見て矢野も高木も、後輩警官も怪訝に目を見張る。
先輩警官は震える手で受話器を戻して矢野を見据えた。彼の顔からは血の気が引いて放心している。

『帰っていいぞ。君の家の人が迎えに来た』
『家? ……あー……』

 交番の外に視線を向けて矢野は苦笑する。武田健造議員の運転手兼秘書の村瀬が矢野に頭を下げていた。

『村瀬さんが迎えに来てくれたんだ』
『はい。健造様のご指示で。お連れの方もご自宅までお送りいたします』

村瀬は体格のいい身体を窮屈そうに交番に潜り込ませた。前に立つ村瀬の大きな背中に隠れて警官の姿は見えなくなる。

『こちらの管轄の署長には話を通してあります。二人を連れて帰っても構いませんね?』
『は、はい。もちろんです。あの、今後とも何卒宜しくお願いいたします……』

 恐縮した先輩警官が深々と村瀬に一礼した。後輩警官は訳がわからず唖然と立ち尽くす。
村瀬に連れられて矢野と高木が交番を出る時に、背後で警官のひそひそ話が聞こえた。

『武田健造議員の甥?』
『そうだよ! 署長直々に早く釈放しろって電話もらってさ……』

 事情は大方把握した。味気ない交番のパイプ椅子よりもはるかに座り心地のいい車の後部座席に矢野と高木は並んで座る。

『伯父さんが警察署長とやらに連絡して圧力でもかけた?』

矢野は村瀬に尋ねた。村瀬は表情ひとつ動かさずハンドルを握っていた。

『一輝様の生徒手帳には武田家の自宅電話番号が書いてあります。身元を確かめるために警官が武田家に連絡をし、その話は健造様に伝わりました。一輝様が集団暴行に関わっているなど有り得ません。健造様が自ら警察署長に話を通し、私を迎えに行かせたのです。当然の措置です』
『うわぁー。ケーサツショチョーに連絡ってやっぱり一輝の伯父さんすげぇなぁ!』

事の顛末に高木は興奮気味だが、矢野は納得いかない様子でふて腐れた。

 結局は伯父の権力に守られている。伯父の一声がなければ今もまだ疑われ続けていただろう。
大人に助けてもらわなければ身の潔白も証明できない自分の無力さが、嫌でたまらなかった。
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