早河シリーズ完結編【魔術師】
深夜の病院の廊下を人影が横切る。佐藤瞬はナースステーションの前を通ることなく、木村隼人の病室に辿り着いた。
部屋のスライド式扉をスライドさせる。明かりの消えた室内のベッドで隼人が眠っていた。
人の気配に気付いた隼人は目を開けた。点滴台のすぐ側に立つ人間の顔を捉えた彼は苦々しく呟いた。
『あんたに見舞いに来てもらう日が来るとはね。つーか、ナースステーションに看護師いるのに、よくここまで入れたな』
『具合はどうだ?』
『まぁ……ボチボチ。せっかくあんたに忠告受けたのにこのザマだ』
隼人は点滴の管を巻いた片腕を上げた。数分前に見回りの看護師が点滴の確認をしたばかりだ。
佐藤は看護師の見回りの時間を把握した上で、この時間帯に病室を訪れたのかもしれない。それくらいの情報を手に入れるのは朝飯前な男だ。
『篠山恵子の件は聞いたか?』
『消灯時間ギリギリに刑事が来て……聞いた。何かおかしいとは思ってたけど、あの人の兄貴が竹本の親父の秘書だったんだな。どこで繋がってるかわからねぇものだ』
訪れた沈黙。二人は目を合わさず、点滴ボトルからは静かに液体が落ちてゆく。
先に無言の空気を切り裂いたのは隼人だった。
『美月を頼む』
佐藤は隼人を見下ろして黙っている。隼人は頭を少し起こして佐藤を見上げた。
『本当は俺が美月と斗真を助けに行きてぇよ。だけどこんな身体の俺には何もできない。あんたに頼むしかない』
『君に頼まれなくても美月と斗真くんは俺が助ける』
暗闇に浮かぶ佐藤の表情は変わらず無表情。眉毛ひとつ動かさないその態度は気に入らないが、佐藤の言葉に嘘はない。
『悔しいが、やっぱりあんたには勝てねぇな。俺はずっとあんたと闘い続けてきた。美月の心に居座るあんたに嫉妬し続けてる』
『俺は美月の旦那になった君に嫉妬しているよ』
佐藤の表情が初めて和らいだ。互いに苦笑する二人の男の想いはひとつ。
『じゃあこれで失礼する。今はしっかり養生するんだな』
『あんたに美月は渡さない』
『心配するな。美月は俺を選ばない』
病室を去る佐藤の足音が遠ざかって聞こえなくなった。舌打ちした隼人は枕に頭を沈めた。
『……そんなのわかんねぇだろ。美月はまだ、あんたのことが好きなんだから』
思い通りにならない身体がもどかしい。点滴の管を引きちぎってでも、今すぐ美月と斗真を捜しに行きたかった。
その想いを隼人は佐藤に託した。信頼と呼ぶには癪《しゃく》に障るが、佐藤は必ず美月と斗真を救い出してくれると、根拠のない確信が隼人にはある。
(12年前と逆だな……。あの時は俺が佐藤に美月を託されて……。あの後に佐藤は……)
12年前のセピア色の記憶が鮮やかに色付いて甦る。波がざわめいて海鳥が鳴き、空の青と海の青の境界線が消えた世界に佇む美月は泣いていた。
君は泣いていた。
いつまでもいつまでも。存在の消えた男を想って、永遠に消えない痛みを抱えて……君は泣いていた。
部屋のスライド式扉をスライドさせる。明かりの消えた室内のベッドで隼人が眠っていた。
人の気配に気付いた隼人は目を開けた。点滴台のすぐ側に立つ人間の顔を捉えた彼は苦々しく呟いた。
『あんたに見舞いに来てもらう日が来るとはね。つーか、ナースステーションに看護師いるのに、よくここまで入れたな』
『具合はどうだ?』
『まぁ……ボチボチ。せっかくあんたに忠告受けたのにこのザマだ』
隼人は点滴の管を巻いた片腕を上げた。数分前に見回りの看護師が点滴の確認をしたばかりだ。
佐藤は看護師の見回りの時間を把握した上で、この時間帯に病室を訪れたのかもしれない。それくらいの情報を手に入れるのは朝飯前な男だ。
『篠山恵子の件は聞いたか?』
『消灯時間ギリギリに刑事が来て……聞いた。何かおかしいとは思ってたけど、あの人の兄貴が竹本の親父の秘書だったんだな。どこで繋がってるかわからねぇものだ』
訪れた沈黙。二人は目を合わさず、点滴ボトルからは静かに液体が落ちてゆく。
先に無言の空気を切り裂いたのは隼人だった。
『美月を頼む』
佐藤は隼人を見下ろして黙っている。隼人は頭を少し起こして佐藤を見上げた。
『本当は俺が美月と斗真を助けに行きてぇよ。だけどこんな身体の俺には何もできない。あんたに頼むしかない』
『君に頼まれなくても美月と斗真くんは俺が助ける』
暗闇に浮かぶ佐藤の表情は変わらず無表情。眉毛ひとつ動かさないその態度は気に入らないが、佐藤の言葉に嘘はない。
『悔しいが、やっぱりあんたには勝てねぇな。俺はずっとあんたと闘い続けてきた。美月の心に居座るあんたに嫉妬し続けてる』
『俺は美月の旦那になった君に嫉妬しているよ』
佐藤の表情が初めて和らいだ。互いに苦笑する二人の男の想いはひとつ。
『じゃあこれで失礼する。今はしっかり養生するんだな』
『あんたに美月は渡さない』
『心配するな。美月は俺を選ばない』
病室を去る佐藤の足音が遠ざかって聞こえなくなった。舌打ちした隼人は枕に頭を沈めた。
『……そんなのわかんねぇだろ。美月はまだ、あんたのことが好きなんだから』
思い通りにならない身体がもどかしい。点滴の管を引きちぎってでも、今すぐ美月と斗真を捜しに行きたかった。
その想いを隼人は佐藤に託した。信頼と呼ぶには癪《しゃく》に障るが、佐藤は必ず美月と斗真を救い出してくれると、根拠のない確信が隼人にはある。
(12年前と逆だな……。あの時は俺が佐藤に美月を託されて……。あの後に佐藤は……)
12年前のセピア色の記憶が鮮やかに色付いて甦る。波がざわめいて海鳥が鳴き、空の青と海の青の境界線が消えた世界に佇む美月は泣いていた。
君は泣いていた。
いつまでもいつまでも。存在の消えた男を想って、永遠に消えない痛みを抱えて……君は泣いていた。