早河シリーズ完結編【魔術師】
 優しく繰り返される動作と躊躇なく囁かれる甘い賛美に美月は戸惑った。

『私は君に会うために脱獄したんだ。もう一度、美月に会いたかった』

 自然と美月の身体は貴嶋の腕の中に吸い込まれていた。抱き寄せられた胸元からは、かすかにフローラルウッディ調の香りがする。
アロマにも似た、落ち着いたイメージの香りは貴嶋の人物像を象徴するものだった。

『もっと抵抗すると思っていたのに嫌がらないねぇ?』
「抵抗したって無駄だから……」

貴嶋への憤慨を抱えていても、彼の手つきや甘い囁きには気恥ずかしさを感じる。

『お利口さんな美月は珍しいじゃないか。昔は私がこんなことをすれば君は暴れ放題だったよ』
「人をじゃじゃ馬みたいに言わないで」
『これは失敬。おてんばさんと言うべきかな』

 何もかもを見透かしたヘーゼル色の瞳に見つめられれば、もうそらせない。髪をすいていた貴嶋の指が美月の口元に触れる。
細長く骨張った指が美月の唇の輪郭を扇情的になぞった。

(わからない。この気持ちは何?)

 怒りをぶつけたい相手に抱き締められているのに不快に感じない。あまりにも不本意な感情が渦巻いて、美月の戸惑いを大きくさせる。

本当は怒鳴り散らして喚《わめ》きたい。貴嶋に何をしてでも斗真の居場所を聞き出して、一刻も早くここから逃げ出したい。
そう思っているのに、貴嶋の腕から逃れたいと思っていない自分がいた。

『美月が私を愛していないのは知っている。私を愛せとは言わない。愛さなくていい。ただしばらくの間、一緒に居て欲しい。私からの最後のワガママを聞いてくれるかい?』

 最後のワガママを承諾も拒否もできずにいる美月の唇に貴嶋はキスをした。キスをしたまま、美月の背中がふわりと柔らかいベッドに沈む。
触れて離れて、角度を変えてまた触れて、美月の存在を確認するように貴嶋は唇を重ねた。

 美月はキスをされても全く無抵抗な自分が信じられなかった。うっすら開けた口内に彼の舌が侵入した時に少したじろいだが、簡単に絡めとられて翻弄される。

脳裏にちらつく隼人と佐藤の幻影に、罪悪感の棘を心に突き刺す。こんなことをしている場合ではないと頭ではわかっていた。
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