早河シリーズ完結編【魔術師】
 冷たい潮風が頬に触れ、吐き出した紫煙が空に流れる。連続して聞こえる波の音が高ぶる神経を少しだけ和らげてくれた。

『今さら止めたところでお前の気が変わるとは思えんが、本気で貴嶋のアジトに乗り込むつもりか?』

しわがれた声の男が防波堤に腰掛けて佐藤瞬の背中を見ている。ニット帽を被った浅黒い肌の男だ。

『ええ。本気ですよ』

 佐藤は振り向かずに答えた。冬の海岸沿いは予想以上に寒く、彼の片手はコートのポケットに包まれている。
佐藤は生まれ故郷の海を思い出した。真冬の日本海、雪の日の海は荒々しく波打っていた。

『惚れた女のためなら命も惜しくないか。お前のそういう、いつまでもガキ臭い性格が俺は嫌いじゃねぇよ』

 男は傍らの灰色のケースを開く。ケースに収まる拳銃が男の老いた手で取り出された。
佐藤が振り返ると、男の持つ銃口がこちらに向いた。

『相変わらずイタズラ好きですね』
『相変わらず憎たらしいくらいに動じないな。からかいがいがなくてつまらん』

舌打ちして男は銃を下ろす。佐藤の側に控える部下の日浦が現金が入る封筒を男に渡した。
現金と引き換えに銃が入るケースを日浦が受け取る。
男は封筒の中の札束を数えて口笛を鳴らした。

『指定した金額より多いぞ』
『これまで世話になったことへの少しばかりの気持ちです。それで良い酒でも飲んでせいぜい長生きしてください』
『まるで今生の別れの台詞だな』

 吹きすさぶ潮風に身をすくめて、男は現金が入る封筒をダウンジャケットのポケットに押し込んだ。

『そうなるかもしれませんから』

波の音に紛れて呟いた佐藤の独り言は、男と日浦に聞こえていた。男は溜息をついて腰を上げる。

『お前との仕事もこれが最後か』
『お世話になりました』
『よせよ。お前に頭なんか下げられたら不気味で、明日には雪どころの騒ぎじゃなくなる』

一礼する佐藤を見下ろす男の眼差しは暖かい。父親が息子を見守る眼差しに似ている。

『死ぬんじゃねぇぞ』

 最後に一言告げて男は立ち去った。
男とは二度と会うこともない。けれど男の狭い自宅で、明け方まで酌み交わした酒の味を佐藤は忘れない。
父親を亡くしている佐藤にとって男は父親のような人だった。
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