早河シリーズ完結編【魔術師】
「上野さん……? 泣いてるの?」
上野は手で顔を覆って伏せている。起き上がって彼の顔を覗き込む美月の肩に上野の手が伸びた。
『ごめん。……少しだけ、こうしていていいかな』
美月を抱き締める上野の背中は震えていた。彼女は困惑しつつも上野の背中に手を添えてゆっくり、ゆっくり、彼の広い背中をさする。
美月の首筋からは佐藤と同じ香りがした。海岸で美月達と別れたその後、美月と佐藤の逃避行の詳細を知る者はいない。
美月と佐藤がふたりだけの時間を過ごしていたと思うと、チクリと心に棘が刺さる。嫉妬、という名前の棘だ。
美月は黙って上野の抱擁に身を預けている。抱き締める腕の力強さは普段の上野の穏やかさとは違っていた。
『驚かせてしまったね。ごめんごめん』
美月を手離した上野は平静を装っていても、彼の目は赤く潤んでいた。
『帰りの用意ができたら呼びに来るよ。それまで寝ていていいからね』
いつもの“優しい上野さん”の表情を作って、彼は足早に美月の前から消える。残された美月はあの抱擁の意味に考えを巡らせていた。
はっきりとした確信は持てない。自惚れの勘違いかもしれない。
だけど抱擁の数秒間に込められた想いは、美月に伝わっていた。
「上野さん……。ごめんなさい」
気付いてはいけない秘めた気持ちに気付いてしまった美月の、精一杯の誠意だった。
*
抑えきれない想いが溢れ出して思わず美月を抱き締めていた。後から後悔しても遅いのに自責の念が心を蝕む。
深夜の警察署内は静まり返っていた。医務室を後にした上野は鎌倉警察署の表玄関に向かう。二人の守衛が上野に敬礼し、上野は彼らに目礼を返す。
真冬の午前1時、外は凍える寒さだが月が綺麗な夜だった。上野は車のボンネットにもたれて月を見上げる。
美月に気付かれただろうか。彼女は気付いてしまっただろうか……。
『風邪引きますよ』
横から聞き慣れた声がした。コートを着こんだ早河が缶コーヒーを二本持ってすぐそこに立っている。
『冬の月見ですか?』
『そんなところだ』
早河が差し出した缶コーヒーを上野は受け取る。缶の温かい熱が、かじかんだ手にじんわり染みた。
上野はそのままボンネットに、早河は運転席の扉にもたれてコーヒーをすする。
『早河。美月ちゃんを子ども達のいる病院まで送ってやってくれないか? 彼女も早く斗真くんに会いたいだろう』
『わかりました』
早河はそれ以上は何も言わなかった。何も聞かず、彼は上野の側で澄んだ夜空に浮かぶ月を眺めている。
今宵の月は半月が少し膨らんだ形をしていた。あと数日で満月になる月だ。
上野と早河はかつての上司と部下であり、世代を越えた友人でもある。今の上野の胸中を早河は察していた。
『はぁー。寒っ……。俺は中に戻りますね。このままだと冗談抜きに風邪引きます』
『俺も戻る。佐藤に話があるからな』
冬の月見のコーヒーブレイクも長くは続かない。上野と早河は身を竦めて署内に逃げ込んだ。
上野は手で顔を覆って伏せている。起き上がって彼の顔を覗き込む美月の肩に上野の手が伸びた。
『ごめん。……少しだけ、こうしていていいかな』
美月を抱き締める上野の背中は震えていた。彼女は困惑しつつも上野の背中に手を添えてゆっくり、ゆっくり、彼の広い背中をさする。
美月の首筋からは佐藤と同じ香りがした。海岸で美月達と別れたその後、美月と佐藤の逃避行の詳細を知る者はいない。
美月と佐藤がふたりだけの時間を過ごしていたと思うと、チクリと心に棘が刺さる。嫉妬、という名前の棘だ。
美月は黙って上野の抱擁に身を預けている。抱き締める腕の力強さは普段の上野の穏やかさとは違っていた。
『驚かせてしまったね。ごめんごめん』
美月を手離した上野は平静を装っていても、彼の目は赤く潤んでいた。
『帰りの用意ができたら呼びに来るよ。それまで寝ていていいからね』
いつもの“優しい上野さん”の表情を作って、彼は足早に美月の前から消える。残された美月はあの抱擁の意味に考えを巡らせていた。
はっきりとした確信は持てない。自惚れの勘違いかもしれない。
だけど抱擁の数秒間に込められた想いは、美月に伝わっていた。
「上野さん……。ごめんなさい」
気付いてはいけない秘めた気持ちに気付いてしまった美月の、精一杯の誠意だった。
*
抑えきれない想いが溢れ出して思わず美月を抱き締めていた。後から後悔しても遅いのに自責の念が心を蝕む。
深夜の警察署内は静まり返っていた。医務室を後にした上野は鎌倉警察署の表玄関に向かう。二人の守衛が上野に敬礼し、上野は彼らに目礼を返す。
真冬の午前1時、外は凍える寒さだが月が綺麗な夜だった。上野は車のボンネットにもたれて月を見上げる。
美月に気付かれただろうか。彼女は気付いてしまっただろうか……。
『風邪引きますよ』
横から聞き慣れた声がした。コートを着こんだ早河が缶コーヒーを二本持ってすぐそこに立っている。
『冬の月見ですか?』
『そんなところだ』
早河が差し出した缶コーヒーを上野は受け取る。缶の温かい熱が、かじかんだ手にじんわり染みた。
上野はそのままボンネットに、早河は運転席の扉にもたれてコーヒーをすする。
『早河。美月ちゃんを子ども達のいる病院まで送ってやってくれないか? 彼女も早く斗真くんに会いたいだろう』
『わかりました』
早河はそれ以上は何も言わなかった。何も聞かず、彼は上野の側で澄んだ夜空に浮かぶ月を眺めている。
今宵の月は半月が少し膨らんだ形をしていた。あと数日で満月になる月だ。
上野と早河はかつての上司と部下であり、世代を越えた友人でもある。今の上野の胸中を早河は察していた。
『はぁー。寒っ……。俺は中に戻りますね。このままだと冗談抜きに風邪引きます』
『俺も戻る。佐藤に話があるからな』
冬の月見のコーヒーブレイクも長くは続かない。上野と早河は身を竦めて署内に逃げ込んだ。