早河シリーズ完結編【魔術師】
 美月の心を救った唯一の存在が、彼女の夫となった木村隼人だ。隼人が美月に好意を持っていることは、ペンション滞在中に上野も気付いていた。

隼人は傷付いた美月を受け入れ、彼女の心を癒して愛した。


 ──“隼人くんとお付き合いすることになりました”──


 照れ臭く笑ってそう告げた美月の隣には同じく気恥ずかしく照れた隼人が寄り添っていた。
隼人のおかげで取り戻った美月の笑顔に上野は安堵した。

 若者の恋愛を喜ばしく思う反面、一抹の寂しさも感じた。その寂しさの正体をあえて具体的な言葉で認めはしなかった。
想いに名前をつけてしまえば、美月と会えなくなる。美月と隼人の結婚式で美月の花嫁姿を目にした時も同様の寂しさが心を支配した。

 3年交際した篠山恵子とは12年前の冬に別れた。別れ話をした時もちょうどこんな、冷え冷えとした夜だった。

別れ話の最後に恵子が言い残した言葉がある。


 ──“あなたはあの女の子に恋をしているのよ”──


嫉妬に狂った女の戯言だと聞き流していた言葉なのに、あれから12年経つ今でも恵子の最後の言葉は覚えている。

 連日連夜、終わりのない事件を追いかけて目の前に晒される無惨な死体。狂った犯罪者。泣き叫ぶ被害者遺族。血の臭い。涙の匂い。

血生臭い毎日で浅丘美月の存在は上野の救いだった。少しの時間でも彼女と話をして彼女の笑顔を見ると、濁って荒んだ心も綺麗に洗われていく。


 ──“肺癌になったらどうするんですかっ! 禁煙命令出しますよ!”──


 健康診断で肺にかすかな異常があったと話した時には美月から禁煙命令が出されて、素直に禁煙の誓いを立てた。

 美月との年齢差は28歳。父と娘と言われてもおかしくない年齢差は、二人の間で擬似的な親子関係を確立させていた。

17歳の高校生から成人を迎え、大学卒業、新社会人、花嫁姿に母親としての顔……少女から大人へ開花する美月の成長を見守ることが楽しみでもあった。

 けれど、ふとした瞬間に垣間見える彼女の大人の表情に心拍数が上がったのも事実。とっくにわかっていたことだった。

認めるのを恐れていた本当の気持ち。
追憶のアルバムの様々な場面で美月の笑顔が再生される。

(恵子が怒るのも当然か。いい歳して情けないな)

 恋だと気付いた瞬間にそれは叶わぬ恋だと知る。心に目をつむり、耳を塞ぐ。

気づかなければよかったと、うつむきたくなる恋だった。
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