大嫌い同士の大恋愛     ー結婚狂騒曲ー
 ひとまず、事情を知っている社長に、江陽の縁談が白紙になった事と、私達が入籍予定だという事を伝えると、手放しで喜ばれた。
 本当は、(いち)平社員が、こんな頻繁に社長とコンタクトを取る事自体、不自然なのだけれど。
 ――一応、ご心配をおかけしているので、報告はしなければならない。

「そうかい、そうかい。じゃあ、今度こそ、結婚するんだねぇ!」

 そう言ってニコニコと人の好い笑みを浮かべながら、社長は、私の肩を叩く。
「――ハイ。いろいろと、お騒がせして申し訳ありませんでした」
「いいんだよ。まあ、その経験が仕事に活きれば――なお、良いけどね」
「……ハ……ハア……」
 すると、社長は、チラリと秘書の入和田(いりわだ)さんの方に視線を向け、私に言った。

「――それで、出張の件は、考えてくれたかな?」

「――……そ、それは……」

 私は、口ごもりうつむく。

 ――……やっぱり――もう、決定なのよね……。

「――時間が必要なら、もう少しだけ待つよ?」
「え」
「いろいろあったからねぇ。――冷静に考える時間は、まだ、必要だよね?」
「……ハイ……」
 まさか、そこまで譲ってもらえるとは思わなかったが、うなづいて返す。

 ――そうだ。
 ――私の仕事は――……。



 その日は、いつも通りに仕事を終え、いつも通りに聖と帰宅の途につく。
 社内コンペは、もう、社長の方へ上がっているので、イレギュラーな残業も終了。
 ようやく、日常が戻ってきたように感じる。
「――想兄ちゃんに聞いたよ。羽津紀に、振られたって」
 マンションへの短い道のりの中、聖は、私を見やり、そう言ってきた。
 私は、それにうなづいて返す。
「ええ……ごめんなさいね」
「でも、ホントに良かった?」
「え?」
 聖は、少しだけそのキレイに整えた眉を寄せる。
「……身内びいきって言われそうだけど……想兄ちゃんは、割とおススメだったんだけどなぁ……」
「――聖?」
「まあ、頑固者だけど、羽津紀とは話合ってるみたいだったし、性格も割と似てる?」
「聖、気持ちはわかるけど……」
 言いたい事はわかる。
 ――この先、江陽が、また、あんな風にならないという保障は、どこにも無いのだ。
 ――でも……。

私が(・・)、もう、江陽じゃないとダメなの」

 そう言って、彼女を見上げると、ポカンと口を開け、まじまじと見つめられる。
 その視線に居心地の悪さを感じ、眉を寄せる。
「……何よ」
「……羽津紀がノロケた!」
「え」
「うわー!うわー‼超貴重!!動画撮っておけば良かったー!」
「バッ……何言ってんのよ!撮ってどうする気よ!」
「もちろん、江陽クンに送りつける!」
「やめなさい!」
 もう、最後は笑い合いながら言い合う。
 こんな風に、何も考えないやり取りは久し振りで――少しだけ、泣きそうになったのは、聖には秘密だ。


 部屋に帰って夕飯を終えると、私は、テーブルに置いた本を見やる。

 ”世界の調味料カタログ”。

 ――想真さんから頂いた本だ。

 それを、パラパラとめくりながら、隣に置いた、お見舞いに頂いた調味料ボトルに視線を向ける。
 ワールドスパイスと、ウチが決定的に違うのは、向こうが、世界の調味料を主に扱っているという事。
 これも、おそらく、東南アジアの方や、ヨーロッパのものだろう。
 スマホで調べてみると、やはり、そのようだった。
 私は、そのまま――日本各地の調味料がまとめてあるサイトへと移る。
 やはり、同じような事を考えている人は多く、あちらこちらに行った時の、おすすめの調味料が画像でアップされていたり、感想をコメントしていたりしていた。

 ――日本全国、無期限出張。

 もしも――江陽と別れるのなら、それもアリだったかもしれない。
 けれど、もう、結婚へと踏み出してしまったのだ。

 ――……お断り……するしかない、か……。

 この役目を受けたら――少なくとも、ずっと一緒に暮らす事はできない。
 そして――そんな環境なら……子供も、あきらめなければいけないかもしれない。
 でも、それは、江陽が――いえ、私自身が、嫌なのだ。

 私達二人の、子供が欲しい。
 もう、その想いに抵抗は無い。

 きっと、大事にしてくれる――そう、信じられるから。


 けれど――……。


 片桐さんが、私を推薦してくれた――その思いも、無下にしたくはない。


「……次から次へと……よくも、まあ、これだけ問題が出てくるものね……」


 私は、ため息をつき、その場に横たわった。

< 118 / 143 >

この作品をシェア

pagetop