〜Midnight Eden〜 episode1.【春雷】
 いじめられっ子の萌子を助けてくれる絶対的な味方の兄を他の女に盗られたくなかった。
兄はいつまでも“萌子の兄”でいてほしかった。

 父も継母に盗られた。兄も萌子の知らない女に盗られた。

イヤイヤイヤ。萌子のモノでいて。
萌子の側で、萌子を守って、萌子に優しくして、萌子の、萌子の、萌子のモノ……。

モエコの、モエコの、と駄々をこねる怪物が心の深淵から怖い顔をにゅっと突き出している。

『……紺野さん』

 陣内の呼び掛けに萌子は我に返った。
深淵の怪物はまだ顔を半分出して、じっと様子を窺っている。深淵と同じ底無しに暗い陣内の瞳が真っ直ぐ萌子を捕らえていた。

『大丈夫? ぼうっとしていたよ』
「……はい。意識が飛んでいたのかな……」

心の深淵に溜まるどろどろを濾過すれば、綺麗になると思っていた。けれど濾過して溢れ出るモノは綺麗とは真逆のモノ。

「まだ話していてもいいですか?」
『話したければ』

 今日の陣内は優しい。普段の片手間の相手じゃなく萌子の目を見て話を聞いてくれる。

 コーヒーを飲み干したカップの底にスティックシュガーの塊が溜まっていた。ちゃんとかき混ぜずに飲んでしまったために、コーヒーの最後の一口は砂糖が多くてやけに甘い。

苦いコーヒー色に染まった甘い砂糖。心に残ったものがこんな風に甘い塊だったらよかったのに。

「先生、これを見てもらえますか」

 萌子はスマートフォンの画面を陣内に向けた。彼女が見せた画面はローズガーデンのホームページのスクリーンショットだ。
椅子から腰を浮かせた陣内は首を伸ばして画面を凝視する。陣内の乏しい表情に変化はない。

『これは?』
「義理の母がここで風俗の仕事をしているんです。人妻デリヘルって言うみたいですね」
『あのお母さんが?』

 一年時の担任だった陣内は、昨年の三者面談で継母と面識がある。首肯した萌子はもう一枚のスクリーンショットを見せた。

 キャスト一覧に載る“マユカ”の顔写真だ。所属キャストの顔の下半分にはボカシ加工がかけられてぼやけている。
人物を判別できる要素が目だけでも、萌子には毎日見飽きた顔。

写真の下のプロフィールには年齢30歳。身長とスリーサイズはT158、B84、W56、H86とある。
身長以外のスリーサイズと年齢は偽証だ。継母がそこまで腰が細いとは思えない。

『顔の下半分が隠れているけど、君のお母さんに似ているね』
「家にマユカの名前の名刺もあったんですよ。こんな下着姿でネットに載って、いい歳して恥ずかしい」
『お母さんが身体を売るのが許せない?』
「それはどうでもいいんです。ただ父を裏切っていることが許せないです。私の家に許可なく入って好き放題してるくせに、外ではこんな仕事をして。じゃあ私の父と結婚しなければよかったのに」

 深淵の怪物はどんどん大きくなる。どろどろとしてじめじめした、萌子の本心の塊。
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