〜Midnight Eden〜 episode1.【春雷】
 鑑識の許可を得て美夜と九条は四○六号室に入室した。
薔薇模様の壁紙もレースの天蓋《てんがい》が垂れ下がる大きなベッドも映像で見た通りの光景だ。異なるのは、映像の中では生きていた人間の心臓が今はもう動かない。

 鮮血に染まったシーツは元の色がわからない。ベッドの中央に横たわる紺野佳世の遺体はこれまでのデリヘル殺人の中で、最も残忍な有り様だった。

手で首を絞められているのは前三件と共通だが、腹部の十字傷の範囲が広い。

『間宮誠治の小説を読んで、この十文字の切り裂きの意味がわかった』
「殺人衝動ってタイトルのあの本?」

 間宮誠治のミステリー小説である[殺人衝動]は、九条のデスクに積まれた切り裂きジャック関連の書物のひとつ。美夜が冒頭で読書を放棄したあの小説を、九条は一夜漬けで読み終えていた。

『小説に出てくる頭の狂った殺人鬼が、女の腹をこうやって十字に切り裂いていたんだ。動機は自分を捨てた母親への恨み。女の腹にある子宮は母親の象徴だからそれを切り裂きたくなった……だったかな。胸糞悪い話だった』
「陣内はそれを真似たのかもね。それにこの状況も……」

裸に両手両足を縛られた状態の佳世の赤い十字架は、まず胸の谷間から下腹部まで縦に真っ直ぐ切り裂かれ、横は左右の脇腹を一気に裂かれている。

その惨状は[殺人衝動]冒頭の描写と瓜二つだった。

 殺害現場を後にした二人は四○三号室に向かった。ピンクを基調とした四○六号室とは違い、四○三号室は紫と黒で彩られていた。

 手錠を嵌めた陣内がベッドに腰かけている。丸めた背中がゆらゆらと揺らいで、彼は美夜を見据えた。

『待っていましたよ、神田美夜さん。少し遅かったですね』

口の端だけを上げて見せた陣内の薄ら笑いが、美夜と九条の背筋を凍らせる。顔に残る血しぶきは返り血だろう。

殺人現場でもないのに漂う殺戮の臭気は、陣内が纏う血まみれのバスローブから発生している。

 美夜は黒革のソファーに陣内と向き合う形で腰かけた。陣内の側には九条が立っている。

「今日の殺人は何が狙いだったの?」
『おい神田。何を聞いてるんだ?』
「これまでは表面をナイフで切っただけの控えめな十字架だった。今回は返り血も気にせず大胆に深く切っている。立派な十字架ね」

質問の意図がわからない九条の戸惑いを無視して、彼女は話を続ける。

「だけど私には、あなたがあの女性に殺意を向けていたとは思えない。あなたの標的は最初から前田絵茉だけだった」
『よくわかりましたね。その通りです。絵茉以外の女に俺は殺意はない』

 数十分前に女を殺したとは思えないほど、陣内の態度は飄々としていた。美夜達が学校で面会した時と彼の様子は何も変わらない。

「絵茉は教え子でしょう。動機は?」
『……俺を馬鹿にしたんですよ』

飄々とした陣内の表層に微かな怒りが滲み出た。

『あれだけ化粧で顔を変えられると、教え子だとしても気付かないものですよ。だけど絵茉はホテルに来てすぐに俺に気付いた。あいつ言ったんですよ。“先生みたいな冴えない男はデリヘルでも使わないと女に触れないんだね、ダッサーイ”……って』

 絵茉の客を小馬鹿にする接客態度の悪さはたびたび問題視されていた。
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