〜Midnight Eden〜 episode1.【春雷】
 遅刻や欠席はなく、素行には問題のない普通の生徒だと言う。ただ一点、萌子の対人関係について教頭は言葉を濁していた。

 座学では学年トップの成績を誇る萌子の極端に低い体育と家庭科の評価。体育は時にチームプレーを必要とし、家庭科も調理実習がある。

この二教科は何かとペアやグループを組まされる科目だ。教頭や担任は言及を避けたが、萌子は校内でイジメに遭っていたと思われる。

「本を貸してくれたと言ったよね。陣内先生から頻繁に本を借りていたの?」
「私が準備室に行くと、先生が三冊くらい用意しておいてくれるんです。お小遣いだと買えない高い本や図書館にはない本があったりして……そうやって本を借りていました」

 取り調べの際、陣内は一言も萌子の名を口にしなかった。紺野佳世が教え子の母親だと知らずにターゲットに選んだと、彼は述べている。

「萌子ちゃんは本が好きなんだね。好きな作家はいる?」
「あまり作家で選んでいないから……。でも梶井基次郎は好きです。桜の木の下の話とか……」
「ああ、梶井の短編集ね。私も好きだよ。梶井の小説も陣内先生が貸してくれたの?」
「そうです」

美夜と萌子の小説談義に九条は加わらず、黙ってコーヒーをすすっている。萌子の両隣の父親と涼太は戸惑いがちに、話に花を咲かせる萌子と美夜に目を向けていた。

「最近は先生から本は借りた?」
「……いいえ」

 血色の良い少女は本の話に目を輝かせながらも、受け答えは淡々としている。義理の関係であっても身内を亡くした人間の態度とは思えない。

 陣内の自宅には部屋の半分を占拠する大きな書棚があった。推理小説、純文学、ライトノベル、ゲームの攻略本、様々なジャンルの本が作者ごと五十音順に並んでいる様子は、さながら本屋のようだ。

 切り裂きジャックに傾倒《けいとう》する陣内は、その棚とは別にして切り裂きジャック専用の書棚を設《もう》けていた。

そこには九条が参考資料に取り寄せたものと同じく、古今東西の切り裂きジャックをモチーフとしたフィクション、ノンフィクション小説やDVDが収められている。

 けれど彼の蔵書のどこにも、あの間宮誠治の[殺人衝動]はなかった。
九条の言うように被害者の腹部の十字傷が[殺人衝動]を真似たのだとすれば、陣内の蔵書に殺人衝動がない事実をどう受け止めればいい?
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