〜Midnight Eden〜 episode1.【春雷】
 それから2時間後、京香と舞は東京に買い物に出掛けていった。二人は今夜は東京のホテルに一泊するらしい。

伶の身体はぐったりしていた。昨夜も今朝も、京香のオモチャにされた疲労感が伶の身体を重たくさせる。

 友達と遊ぶと京香に言ったのは嘘だ。もちろん京香にも嘘は見破られている。
学校でそれなりに会話をする同級生は数人いても、休日に約束をして遊びに出掛けるような友達と呼べる存在はいない。

友達なんかいらない。舞さえ側にいてくれればそれでよかった。

 リビングのソファーでうたた寝をしていた伶は、玄関の扉が開く音で目を開けた。父親の明智信彦が大股でリビングに入ってくる。明智は伶を見て顔をしかめた。

『……なんだ伶。京香達と東京に出掛けたんじゃなかったのか』
『俺がここにいてなんか問題ある? また女でも来るの?』

 明智はフンッと鼻息を漏らして手を振り上げた。その手が伶の頬に直撃し、伶は頬を打たれてソファーに倒れた。

『最近は特に生意気になったな。顔だけじゃなく、性格もお前の母親そっくりだ』

ソファーに倒れている伶に見向きもせずに明智は二階に上がっていく。

 ヒリヒリと痛む頬よりも、痛いのは心だ。伶はソファーにうずくまって涙を流した。
父親に殴られたから泣いているんじゃない。

どんなにここが嫌でも、どんなに父親が憎くても、継母にオモチャにされても、ここから逃げ出せない己の無力さが悔しかった。

 伶と舞の母が死んだのは4年前。伶が6歳、舞は1歳になったばかりだった。
母は優しい人だった。優しい歌声の子守唄、おやつにはクッキーを焼いてくれて、伶の着る服も作ってくれた。

伶は母親が大好きだった。母がどうして死んだのか伶は知らない。誰も伶には、母の死の理由を教えてくれなかった。

 ただ小学生になって少しだけ大人の事情がわかるようになった伶が悟ったのは、母はもしかしたら自分で命を絶ったのかもしれないと言うこと。そしてその原因が父だと言うこと。

父はよく母を殴っていた。伶も昔から何度も殴られた。あの男に、母は殺されたようなものだ。
6歳だった伶には母を守る力もなかった。今ならばもっと、母の悩みを聞いてあげられるのに。父から母を庇えるのに。

 母が死ぬ前に言っていた言葉を伶は今も覚えている。


──“伶……舞を守ってやってね。舞を守れるのは伶しかいないの……”──


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