甘やかな聖獣たちは、聖女様がとろけるようにキスをする
空を泳ぐ

6-1 聖女とはじまりの草原

 
 私たちは再び登龍門に向かって出発した。
 空は気持ちよく晴れていて、のどかに浮かぶ白い雲はゆっくりと流れていく。
 ノワルと手を繋ぎながら一時間ほど歩くと緑の草原が視界いっぱいに広がっていた。

「花恋様、今日はここに泊まろう」
「えっ? まだ全然進んでないよ……?」

 休憩の間違いなのではと思いノワルに顔を向けると、ふわりと唇を持ち上げたノワルと目が合う。

「明日から龍になるつもりだから、広い場所の方が都合がいいんだよ」

 ノワルが広がる草原を指すように視線を投げたので、私も瑞々しい草原を見つめる。数日前はこんなに豊かな自然が目の前に広がるなんて信じられなかったなあと思っていると、さあ、とやわらかな風が頬をなでていく。

「龍になって空を泳げば、登龍門にすぐ着くからね」

 ノワルの言葉に、目の前の草原が風に揺られたみたいに胸の奥にざわざわしたものが広がっていく。
 じっとしていると色々考えてしまいそうで、ロズとラピスが吹き流しマジックバックからテントを取り出しているのを手伝おうと思ったら、ノワルに引き止められる。

「花恋様、結界を張るよ」
「あっ、イヤリングとかんざしが必要なんだよね」
「うん、外してあげるからこっちにおいで」

 ノワルがにこりと笑って手招きをするので惹きよせられるように近づくと、私の耳にそっと指先が触れる。

「――っ」
「花恋様、外しにくいから動かないでね」

 くすくす笑われて、うん、と返事をしたけれど、イヤリングはなかなか外れないみたいで、ノワルの両手が耳たぶを掠める感触や吐息が耳を撫でるたびに、びくっと肩が揺れてしまう。

「ん……や、くすぐったい……」

 何度も身体が跳ねてしまうのが恥ずかしくて、ノワルの両腕のすきまをすり抜けて広い胸におでこをひっつける。
 返事をくれるみたいに、ぎゅっと抱きしめられると日だまりみたいな優しい匂いに包まれるのが嬉しくて、ノワルの背中に腕をまわす。

「花恋様、かわいい」

 ノワルの言葉が心をくすぐる。
 なんだか嬉しくて、おでこをすりすり動かしてしまうと、動かないでね、と優しく注意される。
 しゅん、としてる間に両耳のイヤリングは外され、しゅるりという音と共にかんざしが外れ、髪がほどけて肩にかかる。

「花恋様、もういいよ」
「うん……」

 ふたりの間にできたすきまを柔らかな風が通りすぎて、日だまりの匂いとほどけた黒髪がさらりと流される。
 ノワルの指が髪を一房掬い取り、耳にかけると、耳たぶに触れた体温があごにすべり下りてきて、くいっと上を向くように促されてノワルと見つめ合う。

「結界を張ったら、ゆっくりできるよ」
「……うん」
「それとも、違うことする?」
「……うん」

 ノワルの言葉の魔法にかかったみたいに、まぶたは甘さをねだるようにおりていく。
 ノワルがたまらずと言う感じにため息をつくのが聞こえた。

「ああ、もう……。本当にかわいいね」

 ノワルのあたたかな感触がわずかに唇にふれるとすぐに離れていってしまう。

「花恋様、結界張らないと危ないよ」
「……うん」
「もう一度だけ――する?」
「……うん」

 わずかに触れた甘い体温に胸がきゅうきゅうときめいて、甘さを知ってしまった唇はひな鳥みたいにもっともっと甘いものをねだっていて、背中に回した腕に力を込めてしまう。

「ああ、もう……。花恋様は、本当にかわいいね」

 甘やかな声に誘われて顔を向ければ、甘さのにじんだ黒い瞳にとらわれる。
 伸びてきた手に頬をゆるりと撫でられながら、顔がゆっくり近付いて唇に柔らかな感触が重なった。
 ノワルのやわらかな温度を受け止めて数秒間、心がとろりと甘くとけていく。

「花恋様、続きは結界を張ってからにしようね」

 名残惜しそうに離された唇に、ノワルのささやき声が触れた。

「……うん」

 愛おしげに黒い瞳に見つめられると、うっとりとして思わずほうっと息をはいた。

「花恋様、かわいい」

 こめかみに、ちゅ、と小鳥のさえずりみたいな甘い音が落とされる。

 ——パチン。

 今度は指の音を鳴らすと草原の中にぽつんとたたずむカーキ色の小型テントの横が、ぽわん、と淡い金色の粉がきらきらと幻想的に煌きながら集まっていく。
 言葉を忘れてうっとり眺めていると、いつの間にかたっくんの鯉のぼりのポールに変わっていた。

 鯉のぼりを優しく泳がすような風に、一番上の回転球がくるくる回り、矢車もカタカタと軽快な音を立てると回りの空気がすう、と澄んだのがわかった。

()()()――しようか?」

 ノワルが優しく微笑みながら、突然私を抱き上げてテントへと向かう。

「――っ! ノ、ノワル! 私、歩けるから大丈夫だよ……っ」

 予想していなかった浮遊感に驚いて目がまんまるになった私の黒髪をあやすように撫でた。

「花恋様、俺に触れられるのは嫌だった?」

 ノワルが困ったように眉を下げる。
 こういう言い方はずるいと思う。ノワルに触れられるのは嫌じゃないから断れなくなってしまう。

「嫌じゃないよ……」

 満足そうに笑みを浮かべたノワルから頬やおでこに、ちゅ、ちゅ、と甘やかなキスがたっぷり落とされるのを受け止めていく。
 甘えるみたいに小指が桃色にきらりきらりとやわらかく光りながら、ノワルと私はロズとラピスが待っているみんなの家に入っていった――。
< 58 / 95 >

この作品をシェア

pagetop