甘やかな聖獣たちは、聖女様がとろけるようにキスをする

6-2 聖女と花のあいだ

 
「花恋様、桃色鯉のぼりみたいだね」
「ふえっ? そ、そうかな……?」

 ソファの上でノワルの優しげな笑みに見つめられた途端に、恥ずかしくなって変な声が漏れてしまう。

 熱がたまっていく頬に慌てて手を当てると、ノワルが魔法で着替えさせてくれた淡いピンク色のワンピースにちりばめられた花柄レースの袖がふわりと揺れる。

「うん、俺たちと同じ鯉のぼりだね」

 膝の上に横抱きにされたまま執事服に着替えたノワルに見つめられるのは心臓に悪いと思う。白いシャツ姿がまぶしすぎて、どきどきしてしまう視線から逃げるように顔を横に向けた。

 窓から差し込む陽の光が、袖のレースに透けて柔らかな影の花を咲かせている。その花と花のあいだを大きな黒色の影が泳いで頬をなぞりはじめると、花は影に食べられてしまう。

「花恋様、かわいい」

 頬に指をすべらせるノワルと目が合うと、ちゅ、とおでこにキスを落とされる。
 ノワルの指が唇をゆっくりつたうと、指の熱がじんわり身体中に広がっていく。

「花恋様、そろそろ()()()()のつづきをしようか?」

 吐息がかかりそうなくらいに近い顔を見つめること数秒間。


「…………うん?」

 満面の笑みのノワル抱き寄せられ、春のひだまりみたいな体温と匂いに包まれる。

 ノワルの言葉が私の頭を泳ぎ、予想もしていなかった意味にたどりついた途端に、私の心臓に突風が吹いたみたいに、どきん、と跳ね上がって身体が熱くなっていく。

「ひゃあ……っ! ま、ままま、待って! ノワル、ちょ、ちょ、ちょっと落ち着こう……っ!」

 痛いくらいに早鐘を打つ心臓とひどく火照った頬の熱を両手で押さえるのを繰り返す。
 両手じゃ全然足りなくて、鯉の胸びれも借りたい。

「うん、そうだね――花恋様、落ち着こうね」

 背中に回されていた腕がぽんぽんと優しく数回動いたあと、ノワルの両手で熱い頬を包み込まれる。
 火照った頬に鯉のぼりの両手が貸し出され、ようやく日影にはいったみたいな心地になったのに。

 にこりと微笑むノワルのふたつの黒い瞳に、視線を落ち着かない尾ひれのようにゆらしてしまう私の頬を親指で軽く押しながらあやす。

「あ、ああっ、あの、ま、ま、まって……っ」

 私の跳ね上がる胸を押さえていた両手をノワルの顔の前に反射的にかざして視線をさえぎった。
 顔も耳も全身が心臓になったみたいにどきどきして、桃色を通り越して真っ赤になっている自信がある。

「花恋様」

 壁になっていた手首にノワルの手が触れる。手首を優しく握られて顔の前から両手の壁が消えるとノワルのまっすぐな瞳に射抜かれた。

 なにか話さなくちゃと思うのに、鯉のようにぱくぱくと口が動くばかりで上手く言葉が出ない。


 ――ぐう……


 間の抜けた音が鳴った。
 今までのどきどきしていた状況が嘘のように、ノワルの瞳が凪いでいく。
 あまりの恥ずかしさに泳いで雲に隠れてしまいたい。

「かれんさまーなかまにいれてーなのー」

 視線を泳がせているとラピスの足音が、たたたっと聞こえて、腕のすきまからぴょこりと顔を出した。
 恥ずかしかった気持ちも天使の前ではかすんで消えてしまう。なんなの可愛すぎて、どうしよう。ここに執事の服を着た天使がいます。

「えっと、ラピス……何の仲間なの?」

 にこにこと楽しそうに笑う青い天使をどんな仲間にもいれてあげたいけれど、心当たりがなくて首をかたむける。

「いちゃいちゃのーなかまにいれてーなのー!」
「ふ、ふえっ?」
「だめなのー?」

 透きとおった青い瞳をぱちぱちと数回瞬かせて、首をこてりとかしげる。

「ふえっ? だ、だ、だ、だめっていうか……」
「かれんさまーいじわるはーめめっなのー!」

 ぷくっと頬をふくらませる天使にどう伝えたらいいのか悩んでいると、頭の上からくすくすとノワルの笑い声が聞こえてきた。

「ラピス、お茶の仲間にいれてあげるよ――花恋様、いいよね?」
「う、うん……っ」

 こくこくとうなずく私を見て、よかったね、と青い髪をくしゃくしゃなでている。ノワルはお茶の準備するねとキッチンへ向かい、ソファには私とラピスが残った。

「おなかぺこぺこなのー」
「えっ?」

 ラピスの言葉に驚いて視線を向けてしまう。
 村を出発してから数時間は経っているけれど、ラピスはわんこかしわ餅をオーリ君たちとしていたはずだ。天使のお腹は異世界だと思う。

「花恋様、おまたせ」
「いただきますなのー」
「ノ、ノワル! こ、こ、これって……?」

 ラピスがぱくぱく食べはじめた横で、視線が固まっている私に気が付いたノワルはにこりと笑うと、お皿の上のものを指差した。

「ああ、かしわ餅の中身が気になるよね――こしあん、よもぎのつぶあん、それに味噌あんだよ」

 かしわ餅を見せられて、動揺してしまう。かしわ餅の秘密を聞いたあとで、どれも選ぶなんてできなくて、ただただ鯉のぼりみたいに目を見開いてしまう。

「花恋様、やらしいことを考えてるの?」
「ひゃあ……っ! や、やや、やらしいことなんて、か、か、考えてないよ!」

 ノワルが動揺している私の頬をするりとなでると、見透かすような黒い瞳でまっすぐに見つめられる。

「花恋様――本当かな?」
「ほ、本当だよっ! ま、まままじわるとか、こここ、子どもとか、交わるとか、ま、まじわるなんて考えてないよ……っ」

 突風みたいな早口言葉で言い終わると、ノワルは耐え切れないというように、くすくすと笑いだした。

「明日の龍について話をしようと思ったのに、花恋様は交わることと子供のことを考えてくれてるんだね」
「…………へっ?」

 いたずらっぽく笑うノワルに変な汗が吹き出してきて困ったように視線を向けると、楽しそうに見つめ返されるだけだ。

「花恋様の子供はきっとかわいいと思うけど、このかしわ餅に使っているのは、聖女の木の葉じゃなくてサルトリバラの葉だよ――端午の節句のかしわ餅に柏の葉で包むのは、江戸の習慣なんだよ。もともとは里山に生えているサルトリバラの葉を使っていたけど、幕府のあった江戸でサルトリバラの葉を集めるのが難しくて、代替品として使われたのが柏の葉なんだよ」

 突然はじまったノワルのかしわ餅の話に訳がわからないまま、こくんとうなずいた。

「うん、参勤交代で江戸にきていたサルトリバラを使っていた地方の者たちの評判がいまいちだったから、柏の樹が翌春に新芽が育つまで葉が落ちないこと――つまり、家系が途切れない縁起がいい樹として商人が広めたことで、かしわ餅を柏の葉で包むことが定着したんだよ」

 ノワルの説明を聞いて思わずよもぎ色のかしわ餅を手に取った。
 サルトリバラの葉っぱの表面はつるつる、つやつやしていて葉っぱの形も波模様ではなくつるんと丸い形の葉っぱだった。本当だ、柏の葉っぱとは全然ちがってる。

「サルトリバラのかしわ餅を食べて交わっても子どもはできないんだよ」
「ふえっ?」
「俺としては、しばらくは花恋様との時間を楽しみたいから交わることだけを考えて欲しいかな」
「ふえっ?」

 あまりの恥ずかしさに瞳を揺らしている私に、ノワルがやわらかく甘やかに微笑んで口をゆっくりひらく。

「花恋様、龍の話のつづきと結婚の儀のつづき――()()()の続きをはじめたらいいかな?」


 どこか楽しそうなノワルの声が、かしわ餅と花のあいだを軽やかに泳いでいった――。
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