〜Midnight Eden〜 episode2.【蛍狩】
美夜はホーセズネック、愁はグランドスラムを注文した。彼女は酒の種類や味にこだわりはないが、理性を奪う強すぎる酒は選ばないようにしている。
『そういや、名前……』
「神田美夜です。神田川の神田に、美しい夜」
『神田川と月夜か。名付けた人間も風流な名前を付けたものだな』
名前は父方の祖父が名付けた。その亡き祖父との穏やかな思い出も今となっては忌まわしい記憶に感じられて、思い出したくもない。
美夜が母方の神田姓になったのは、両親が離婚した二十歳の時。それまでは父方の姓の松本を名乗っていた。
松本美夜の名も人生も、8年前に捨てている。
「そちらは木崎……」
『愁。シュウは哀愁の愁。秋生まれでもないのに秋の心だ。風流もクソもない』
秋の心と名付けられた男の誕生日は秋ではないらしい。
『どうして俺の苗字を知っていた?』
「オーナーの奥さんの園美さんから教えてもらいました。よく予約をされるお客さんの名前は覚えているみたいですよ」
『ああ、そう』
返ってきた言葉は気のない返事。自己紹介の会話が途切れた頃にバーテンが2つのカクテルを運んできた。
ホーセズネックとグランドスラムのグラスを軽く合わせて乾杯する。
ホーセズネックにはレモンの皮がグラスに入っている。ホーセズネックとは、馬の首のこと。グラスにかけたレモンの皮が馬の首に見えたことから名がついたカクテルだ。
「お仕事はなにを?」
『ただのサラリーマン。そっちは?』
「ただの……公務員です」
迂闊に警察の身分は明かせない。警視庁捜査一課の刑事のみに与えられるバッジも、勤務時間外は外していた。
「ご出身は?」
『見合いみたいだな。見合いしたことねぇけど』
「私もしたことありません」
愁の言う通りこれでは見合いだ。初対面に近い男とこんな地下に潜ったバーで酒を飲みながらする適当な話題が思い付かない。
『生まれも育ちも東京。そっちは?』
「地元は埼玉の蕨《わらび》市です」
『蕨市か。昔、仕事で川口に行ったついでに寄ったことがある。その一度きりだが』
「小さい街でしょう?」
『ああ。駅の近くに陸橋があったな』
陸橋の単語にドクンと美夜の心臓が反応した。蕨駅の近くには川口蕨陸橋と呼ばれる陸橋がある。
10年前の3月29日、そこで殺人事件が起きた。
『どうした?』
「……いえ。駅前のファミレスでよく勉強したなぁって思い出していたんです」
美夜が同級生を見殺しにした瞬間を陸橋の上から見ていた人間がいる。あの黒い傘の男だけが、美夜の本性を知る唯一の人間だ。
『そういや、名前……』
「神田美夜です。神田川の神田に、美しい夜」
『神田川と月夜か。名付けた人間も風流な名前を付けたものだな』
名前は父方の祖父が名付けた。その亡き祖父との穏やかな思い出も今となっては忌まわしい記憶に感じられて、思い出したくもない。
美夜が母方の神田姓になったのは、両親が離婚した二十歳の時。それまでは父方の姓の松本を名乗っていた。
松本美夜の名も人生も、8年前に捨てている。
「そちらは木崎……」
『愁。シュウは哀愁の愁。秋生まれでもないのに秋の心だ。風流もクソもない』
秋の心と名付けられた男の誕生日は秋ではないらしい。
『どうして俺の苗字を知っていた?』
「オーナーの奥さんの園美さんから教えてもらいました。よく予約をされるお客さんの名前は覚えているみたいですよ」
『ああ、そう』
返ってきた言葉は気のない返事。自己紹介の会話が途切れた頃にバーテンが2つのカクテルを運んできた。
ホーセズネックとグランドスラムのグラスを軽く合わせて乾杯する。
ホーセズネックにはレモンの皮がグラスに入っている。ホーセズネックとは、馬の首のこと。グラスにかけたレモンの皮が馬の首に見えたことから名がついたカクテルだ。
「お仕事はなにを?」
『ただのサラリーマン。そっちは?』
「ただの……公務員です」
迂闊に警察の身分は明かせない。警視庁捜査一課の刑事のみに与えられるバッジも、勤務時間外は外していた。
「ご出身は?」
『見合いみたいだな。見合いしたことねぇけど』
「私もしたことありません」
愁の言う通りこれでは見合いだ。初対面に近い男とこんな地下に潜ったバーで酒を飲みながらする適当な話題が思い付かない。
『生まれも育ちも東京。そっちは?』
「地元は埼玉の蕨《わらび》市です」
『蕨市か。昔、仕事で川口に行ったついでに寄ったことがある。その一度きりだが』
「小さい街でしょう?」
『ああ。駅の近くに陸橋があったな』
陸橋の単語にドクンと美夜の心臓が反応した。蕨駅の近くには川口蕨陸橋と呼ばれる陸橋がある。
10年前の3月29日、そこで殺人事件が起きた。
『どうした?』
「……いえ。駅前のファミレスでよく勉強したなぁって思い出していたんです」
美夜が同級生を見殺しにした瞬間を陸橋の上から見ていた人間がいる。あの黒い傘の男だけが、美夜の本性を知る唯一の人間だ。