〜Midnight Eden〜 episode2.【蛍狩】
 闇夜を切り裂く赤いサイレンが鶴川街道を抜けて脇道にそれた。調布市の多摩川三丁目エリアに入ったところでハンドルの動きを止めた杉浦誠は、車のナビを一瞥する。

『この辺りですよ』
「この道を真っ直ぐ行って……ここね」

川島が経営していた製紙工場の位置を確認した真紀と杉浦は車を降りた。戸建てや背の低いマンションとアパートが建ち並ぶ町は、すっかり夜の帳が降りていて静かだった。

 川島の会社は住宅街の一角に無造作に放置されていた。壊れかけの戸や窓が、湿った夜風に軋む様はさながら幽霊屋敷だ。
いずれは跡形もなく取り壊されて、ここにも誰かの家が建つのかもしれない。

 現在の土地の管理者に借りた鍵を使って扉を解錠する。埃っぽい室内を懐中電灯で照らした真紀は、床の足跡に目を留めた。

「足跡だよね。それも最近のもの」
『この埃の擦りきれ方だと、足跡は複数……少なくとも二人分はありますね』

ひとまず杉浦のスマートフォンで床の足跡を撮影し、先に進む。真紀は一階を、杉浦は二階に別れて工場内を調べ回った。

 一階は事務員が常駐する事務室と工場社員用の休憩室があった。デスクが取り払われて、無限の空間が広がるだけの事務室に転がる埃まみれのボールペンは、かつてここにいた社員の忘れ物だろう。

 幽霊屋敷と言うよりは廃校になった学校のようだ。3年前までここには多くの社員が働いていた。

社会に出たばかりの緊張の面持ちの新入社員、手際が良くなってきた中堅社員、面倒見の良いお局様やベテラン社員、パートタイマーに派遣社員、外国人就労者。

様々な性格の様々な境遇を背負う人間がひとつの会社に集まり、始業から終業までの時間を共にする。

 怒声や笑い声の幻聴。機械を動かし、データを入力する社員の幻影。
あくせく働くサラリーマンの幽霊は、今も成仏できないままここに存在していた。

 事務室と休憩室の間に扉を見つけた。軽く押しただけで開いた扉の奥に潜むものに真紀は眉をひそめる。

「杉浦さん。こっち来て」

階段の下から杉浦を呼ぶ。足元を照らして慎重に階段を降りてきた杉浦も、扉の奥の空間に目を凝らした。

『地下への階段ですね』

 懐中電灯の灯りを頼りに二人は鉄骨の階段を一段ずつ下る。折り返してさらに下ると、地下に辿り着いた。

地下室は天井の近くに小さな高窓がついているのみで、床も壁も剥き出しのコンクリートに覆われている。

『小山さん、この臭いは……』
「……血の臭い」

 殺人現場を見慣れている刑事の鼻はすぐさま血の臭いに反応した。臭いの先をライトで追いかける。

「……間違いない。ここが現場だったのね」

 床に凝固した大量の赤黒い血痕、ナイフ、手錠、血がこびりついたゴム手袋とガムテープ、ビニール袋、さらには段ボールに入った寝袋が二つ。

懐中電灯が照らし出した光景は真紀や杉浦がこれまで目にしてきたどんな殺人現場よりも凄惨な、地獄絵図だった。
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